エルグレコ展を見て歩いて昔からの疑問が首をもたげてきた。
興味のない方にはまったくどうでもいい話なのだろうが、私は昔から不思議だった。ただし不思議に思ったままそのままにしていたのだが、今回エルグレコの「十字架のキリスト」を見てこの疑問がよみがえってきた。
磔刑図1459アンドレアマンテーニャ
キリストが十字架に磔にされたという聖書の記述が正しいとしても、あの姿勢は本当に磔の図なのかという疑問だ。両手に一本ずつの大釘と両足をひとつにまとめて一本の大釘という三点で人間の全体重を支えられるのだろうか?という疑問だ。私はとても無理だと思う。どんなに太い釘を用いたとしても、人間はずり落ちてしまうはずだ。
しかしルネッサンス期以降の磔刑図はいづれもこの両手・両足でキリストを支えている。私には物理的に不可能と思われるこのような図柄がどうして画家たちに受け入れられてきたのか不思議であった。
磔刑図1500年代ミケランジェロ
磔刑図1502ラファエロ・サンディ
ルネサンス期以降、より人間的な絵画が追求される中、客観的に疑問の多いこのような図形がどうして描かれたのかということだ。どうもローマカトリック教会の見解が大きく左右されているのではないかとようやく気がついた。
磔刑図1600エルグレコ
ネットのウィキペディアでは「この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなかった。刑を受ける者は両手首と足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至った。そのため、長引く場合は48時間程度も苦しみ続けて死んだと言われる。ただしイエスと共に十字架につけられた二人の男は、安息日に死体が十字架にかかっていることを厭ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。イエスの死を確認するため、ある兵士が槍でイエスのわき腹を突き刺したという記述も福音書に見られる」。
なかなかに生々しい記述でこれ以上は私も引用したくないのだが、当時も不思議に思われていたらしい。エルグレコもこの教義にそって描いたのではないか。
磔刑図1889ゴーギャン
そしてこの伝統は19世紀以降、印象派の描くキリストの磔刑図にも受け継がれている。
ところが、ネットで検索しているうちに、ルネサンス期以前ならびに正教会ではそうではないことがわかった。
磔刑図1305ボンドーネ
14世紀の磔刑図では足に台が描かれ、キリストがずり落ちないように描かれている。物理的にはこれが当たり前の図である。
磔刑図1500年代セオファニス(クレタ・正教会)
そしてルネサンス期以降も東方教会・正教会ではこの台を描くことが当然であったようだ。この台が後にロシア正教会などの横棒2本線の十字架の原型となったらしい。
そうだ、これが当たり前の発想である。
3本の釘で人体を固定することになったのはあくまでもローマカトリック教会の教義に基づくものののようだということらしい。
しかしこのようなものが19世紀の印象派以降も疑問を呈されることもなく絵の原型とされ続けたということに、西欧におけるローマカトリックの教義の強い束縛・呪縛を私などは感じてしまう。
自然科学の進歩を牽引してきたヨーロッパにしてこのような不思議なことが続いている。私にはとても不可解なことに思われる。
磔の場合3本の釘だけで人の体を支えるの不可能と思われるが、どうしてそれが描き続けられたのかという疑問に対して、私自身の推論の流れはまとめると次のようになる。
・15世紀くらいまでは足元に台を描いていた事例が多そうということ。
・東方教会・各正教会では足元の台を描き続けたらしいこと。
・ルネサンス期以前は、一緒に磔にされたことになっている他の二人は足を縄で固定したり、腕を横棒に回され固定している絵が散見されることで、以前から3本の釘だけでは無理との認識があったと推定できること。
・磔刑図は対抗宗教改革で盛んに描かれたことになっていてこのころに様式が統一されたと見なして良さそうなこと。
・カトリック教会の祭壇の十字架やパンフレット類などは現代も3本の釘以外での固定は一切ないこと。
以上、意識を失った人間がぶら下がれば肉が裂けて落下する可能性が大きいのに、3本の釘に「こだわり」続けているのは聖書の記述やその解釈にあたって教会の関与が強く作用したと考えると説明がつくのではないか。
とりあえずここまで考えてみた。
3本の釘だけで死に到るか否かについては、刑としての磔がどのように執行されたのか、本当にそのような刑があったのか、さらにキリストがそのような刑に処せられたという記録があるのか、そもそもキリストという人格が実在したのか、そこについては言及はしていない。
日本では、「磔」は槍による刺突がおこわなれたと、高校の頃の日本史の授業で習った記憶がある。あの頃、あの地域での実態の研究もあろうが、私にはあまりに生々しい話なので、遠慮したい。
興味のない方にはまったくどうでもいい話なのだろうが、私は昔から不思議だった。ただし不思議に思ったままそのままにしていたのだが、今回エルグレコの「十字架のキリスト」を見てこの疑問がよみがえってきた。
磔刑図1459アンドレアマンテーニャ
キリストが十字架に磔にされたという聖書の記述が正しいとしても、あの姿勢は本当に磔の図なのかという疑問だ。両手に一本ずつの大釘と両足をひとつにまとめて一本の大釘という三点で人間の全体重を支えられるのだろうか?という疑問だ。私はとても無理だと思う。どんなに太い釘を用いたとしても、人間はずり落ちてしまうはずだ。
しかしルネッサンス期以降の磔刑図はいづれもこの両手・両足でキリストを支えている。私には物理的に不可能と思われるこのような図柄がどうして画家たちに受け入れられてきたのか不思議であった。
磔刑図1500年代ミケランジェロ
磔刑図1502ラファエロ・サンディ
ルネサンス期以降、より人間的な絵画が追求される中、客観的に疑問の多いこのような図形がどうして描かれたのかということだ。どうもローマカトリック教会の見解が大きく左右されているのではないかとようやく気がついた。
磔刑図1600エルグレコ
ネットのウィキペディアでは「この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなかった。刑を受ける者は両手首と足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至った。そのため、長引く場合は48時間程度も苦しみ続けて死んだと言われる。ただしイエスと共に十字架につけられた二人の男は、安息日に死体が十字架にかかっていることを厭ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。イエスの死を確認するため、ある兵士が槍でイエスのわき腹を突き刺したという記述も福音書に見られる」。
なかなかに生々しい記述でこれ以上は私も引用したくないのだが、当時も不思議に思われていたらしい。エルグレコもこの教義にそって描いたのではないか。
磔刑図1889ゴーギャン
そしてこの伝統は19世紀以降、印象派の描くキリストの磔刑図にも受け継がれている。
ところが、ネットで検索しているうちに、ルネサンス期以前ならびに正教会ではそうではないことがわかった。
磔刑図1305ボンドーネ
14世紀の磔刑図では足に台が描かれ、キリストがずり落ちないように描かれている。物理的にはこれが当たり前の図である。
磔刑図1500年代セオファニス(クレタ・正教会)
そしてルネサンス期以降も東方教会・正教会ではこの台を描くことが当然であったようだ。この台が後にロシア正教会などの横棒2本線の十字架の原型となったらしい。
そうだ、これが当たり前の発想である。
3本の釘で人体を固定することになったのはあくまでもローマカトリック教会の教義に基づくものののようだということらしい。
しかしこのようなものが19世紀の印象派以降も疑問を呈されることもなく絵の原型とされ続けたということに、西欧におけるローマカトリックの教義の強い束縛・呪縛を私などは感じてしまう。
自然科学の進歩を牽引してきたヨーロッパにしてこのような不思議なことが続いている。私にはとても不可解なことに思われる。
磔の場合3本の釘だけで人の体を支えるの不可能と思われるが、どうしてそれが描き続けられたのかという疑問に対して、私自身の推論の流れはまとめると次のようになる。
・15世紀くらいまでは足元に台を描いていた事例が多そうということ。
・東方教会・各正教会では足元の台を描き続けたらしいこと。
・ルネサンス期以前は、一緒に磔にされたことになっている他の二人は足を縄で固定したり、腕を横棒に回され固定している絵が散見されることで、以前から3本の釘だけでは無理との認識があったと推定できること。
・磔刑図は対抗宗教改革で盛んに描かれたことになっていてこのころに様式が統一されたと見なして良さそうなこと。
・カトリック教会の祭壇の十字架やパンフレット類などは現代も3本の釘以外での固定は一切ないこと。
以上、意識を失った人間がぶら下がれば肉が裂けて落下する可能性が大きいのに、3本の釘に「こだわり」続けているのは聖書の記述やその解釈にあたって教会の関与が強く作用したと考えると説明がつくのではないか。
とりあえずここまで考えてみた。
3本の釘だけで死に到るか否かについては、刑としての磔がどのように執行されたのか、本当にそのような刑があったのか、さらにキリストがそのような刑に処せられたという記録があるのか、そもそもキリストという人格が実在したのか、そこについては言及はしていない。
日本では、「磔」は槍による刺突がおこわなれたと、高校の頃の日本史の授業で習った記憶がある。あの頃、あの地域での実態の研究もあろうが、私にはあまりに生々しい話なので、遠慮したい。