古井由吉に「知らぬ翁」というエッセイ(1994年)がある。50代の半ばの著者のエッセイにしては驚くほど「老い」を身近に切実に感じている。
「拾遺和歌集」の旋頭歌「ますかがみ そこなる影に むかひ居て 見る時にこそ 知らぬおきなに 逢ふここちすれ」(巻第九 雑下 565)が引用されていた。
この歌の解釈について「鏡に向かって坐り、そこに映る姿を見る時こそ、見知らぬ翁に逢う心地がすることだ、というほどの意味である」と記している。
読みとして、「ひとつは、老人が鏡に向かっていると取る。自分の老いの姿を、見知らぬ老人のように見る。もうひとつは、壮年期にある人間が鏡の中に自分の老いの姿を見出すという読み方」とも記している。
昨日私は「図書3月号」から竹内万里子の「見ることの始まりへ」から「(アヴェドンの死に立ち向かう父親を撮影した作品について)この写真が放つ怒りの矛先がなんであるのか。それは私たちの他ならぬ生を容赦無く断ち切る死そのものであり、その過酷な現実を安易な物語へ回収して手懐けようとする我々人間だったのではないか。だからこそこの写真は、一度見たら忘れられなくなるほど強烈で、人を苛立たせる。」という個所を引用した。
アヴェドンの作品は、死に立ち向かう父親を撮影したものであるので、古井由吉のエッセイで言えば「壮年期にある人間が鏡の中に自分の老いの姿を見出す」体験に似ていないこともない、と連想した。
古井由吉の「ふとした弾みに鏡に映った自分の顔に、父親の老いの姿を見出し」た時の驚愕というのは、私も50代の時にあった。
アヴェドンという写真家は執拗とも言えるほどにレンズを通して父親の衰えていく顔と対峙して、作品として提示した。私にはそのように対峙するエネルギーはもとよりない。
50代のとき、私は鏡の中の自分の老いたときの姿にごく近いと思われる父親の相貌を垣間見て、父親の記憶を消し去ろうともがいたものである。たぶん70代を越え、父親の亡くなった年齢にあと5年余りと迫った今でも同じことを繰り返すと思われる。
内心そういう事態を避けるために、「老人である自分の老いの姿を、見知らぬ老人のように見る」態度を続けようとしている。
古井由吉は次のようにも記している。「自分の老いさらばえた面相が、鏡の内どころか、この顔にじかに浮き出てくるのが、大病の時である。八十で亡くなった父親の老齢の顔に自分がなっているのに気がついた。」
私も父親に似ている自分を発見したときは、見続けることは耐えられないと思った。現在私の顔は父親の70代の時の顔とはだいぶ違っているらしいが、膝を痛めて前かがみの歩き方になっているときに妻から「お義父さんの歩き方」と指摘されることがあり、そのたびに妻には見せないが、頭を抱えて「勘弁してほしい」と呻いている。
それは自分の「老いを受け入れたくない」という意識ではなく、「父親と似てたまるか」という強い願望の故である。「老い」に従い、血縁故に父親に似てくるという自然現象に抗う強い気持ちで、アヴェドンという写真家が死に近い父親と対峙をしていたとしたら、そのエネルギーは計り知れないブラックホールのような無際限のものだったのではないか、と思料する。
自分の「老いの顔」(それは血縁者たる父親の老いの顔と似通っているということも含めて)と対峙するということは、自分の生きかたについての自分自身が下す評価を問うことでもあるのではないか。
多くの画家が若いうちから自画像を描き、写真家が自身のポートレートを撮り続けるというのは、果たしてどういうことなのだろうか。いつも展覧会や回顧展で自画像、ポートレートを見るたびにため息をつきながら見入っている。もし私が芸術家であったとして、この歳になっても自画像を描いたり、ポートレートを撮る自信もエネルギーもない。もしそこに父親の像が見え隠れしたら、と思うだけで立ち往生してしまう。
なお、古井由吉のこのエッセイの後半は「顔」から「ボケ」「老い一般」へ焦点が移動しているので、とりあえず「老いの顔」の感想はここまでにしておきたい。