Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ワンタンスープとお粥

2024年04月13日 20時23分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 妻は昨日から体調が悪く、食欲がまったくないという。熱はない。原因はよくわからない。私もお付き合いで本日は夕方まで家に引きこもり。昨日の天気予報では暖かく穏やかな予報であったので、ブラブラと付近を散歩するつもりであった。しかし具合の悪い妻を一人家に置いて出かけるわけにもいかない。
 朝・昼とも食事は私一人分だけなので適当に済ませた。冷蔵庫をあさって適当に見繕った。
 夕方近くになって、買い物を頼まれた。食材以外のもので無くなりそうなものがあるとのこと。少し遠回りで歩いて30分ほどの距離のスーパーまで往復歩いた。
 暖かい陽射しと微風のもと、気持ちよく8千歩ほど歩くことが出来た。

 夕食はごく薄く作ったお粥と、レタスをたっぷりと入れたワンタンスープ。私は総菜店で購入したメンチカツを追加した。ワンタンスープも手抜きで作成。即席のワンタンのカップスープを3倍に薄めてごま油と一つまみの塩・胡椒で軽く炒めたレタスと卵を放り込んだだけ。
 カップにお湯を注ぐだけのスープの味がいかに濃い目に作られているか、実感できる。3倍のお湯で薄めても満足できる味になる。
 妻はワンタンスープのスープとお粥と梅干。一応食欲がわずかだが戻った。明日は日曜日なので病院も休み。もう1日様子をみるしかない。


マティス《肘掛椅子の女性》

2024年04月13日 14時32分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 読み始めた「魔女狩りのヨーロッパ史」は目をとおさず、「幻想美術館」(太田治子)から6編ほど読んだ。家に籠っている時は短くて完結する文章のほうがいい。
 昨日読んだ中で印象に残ったのは、アンリ・マティスの《肘掛椅子の女性》(1933-34)を取り上げた一編。
 私はこの作品、というかマティスの作品は色彩の妙味ばかりに目を取られて、作品から物語を紡ぐということがまったく出来ていなかった。そしてマティスの作品はどちらかというと「苦手」であった。
 太田治子は母と娘の物語を紡いでいる。「白地に青い花柄のワンピース姿の女性は、肘掛椅子にふんぞり返っていた。思い切り吊り上がった眼は、暗く光っているように思われた。」と記している。
 私はこれまでマティスの描く人物から表情を読み取ったことがなかった。表情は消されるようにぼかされている作品が多く、人物はあくまでも点景として、あるいは服装による色彩の配置の一環でしかないと感じていた。この作品でも女性の顔にはうすらと影のようなものが塗られて表情が読み取りにくい。これを私はマティスがあえて表情を消すように描いたものだと勝手に考えていた。この作品から上記のようにふんぞり返り、吊り上がった目、を見つける鑑賞はできなかった。まして太田治子のように母と娘が見つめる相互の意識に踏み込むことはできなかった。
 これを気にマティスの作品の見方を変えてみることにした。少しは年齢と共にますますギスギスとしてきた想像力、感受性にいい刺激になるかもしれない。