昨日読みそこなった「都市空間の怪異」(宮田登)の読書を再開。だいぶ時間も立っていたので、少し遡って読み始めた。
「自然の中に人間がうまく調和している限りでは、怪異という現象は生じなかった。自然を破戒しつつ地域開発が伸長するプロセスで自然と人間は対立関係に入るが、人間の営みの体系である文化の中に自然が取り込まれるようになると、逆に超自然現象がさまざまに語り出されてくる。都市文化の一部分として怪異譚が位置づけられるが、これは人間か自然を破戒して都市を作ったということの現在意識が漂白されていると見ることができよう。」(第3章「都市と妖怪」第3節「異界との交流」)
「「人生を黄昏化するが理想の鏡花小史」と折口がいうように、鏡花の論じ方には、かならず二つの世界の境界論が浮き彫りにされており、とりわけ超自然的領域との関わり方が、鏡花文学の大きな特色となっている。」(第3章「都市と妖怪」第4節「鏡花と妖怪文化」)
「若者たちが怪奇現象に関心をもつ前提には、現代人の霊魂観の傾向があると思われる。・・・誰もが関心を寄せるのは、人の霊魂はどの段階で人に宿るのかという点ではなかろうか。臓器移植の前提にある脳死の位置づけが不分明である点に人々の批判が集中している・・。国民的合意を得られないでいるのも、脳死の判定がこうした霊魂観に整合しきれないでいるためである。脳死の状態になっても霊魂がまだ自由自在に出入りしているのではないかという疑問を捨て切れないでいる・・。脳死体県のフォークロアが日本では他民族と比べて相対的に多く語られていた。」(第4章「近現代社会の妖怪」第1節「若者の霊魂観」)
「現代日本における世紀末の世相には、とりわけ日常化した神秘主義が目立っている。その基層には民俗文化の核が横たわっていると考えられる。引いつの文化を型をなし、それが基層から表層に浮上するとき、占いや新宗教が一挙に巨大化する。」(第4章「近現代社会の妖怪」第1節「若者の霊魂観」)
残るは第4章の後半と、「附 都市とフォークロア」ならびに解説等である。