Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「宿題」で思い出したこと

2022年10月14日 21時46分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕方からの打ち合わせは17時半過ぎに終了。本日はどこにも寄らずに帰宅。雨には合わずに済んだ。
 打ち合わせ会議で、宿題を貰ってしまった。明日いくつか電話をしなくてはならない。来週の退職者会のバス旅行での役割分担もいくつか貰ってしまった。
 明日は、この宿題と共にもう一つの別の宿題をこなして月曜日の幹事会に間に合わせたい。だんだん中学生のころのように、間際にならないと宿題に手をつけなくなった。

 「宿題はその日のうちに済ませてしまえ」とは親にも、宿題を出した教師にも言われていた。だれでもそうだったと思う。しかし私はいつも宿題を出した教師にそれを言われると無性に腹が立った。教師は自分の教科のことばかり考えているように思えた。他の教科でも大量の宿題が出ていることや、他の教科で試験が近づいていることを重々承知をしているはずなのに・・。
 授業での不手際や無駄話のツケを宿題という形で生徒に押し付けるのはひどい、と席が隣の仲間と話をしたことも思い出す。しかも教師同士が仲が悪いと、競争するように宿題や課題を出す。それが生徒にはすぐに分かってしまうのである。
 ということで、私はつくづく教師にはなりたくないと当時は思った。大学を卒業近くになって「教師にでもなるしか、就職先がない」と当時社会的に盛んに悪口を言われた「でもしか」先生を地で行く覚悟をした。しかし悲しいことに卒業に必要な最低限の単位しか取得していないので、取得単位が足りない。私には、ごく限られた高校の限られた科目しか採用枠はなかった。
 私に教わる生徒というのはとても可哀そうだと思いながらも、受験勉強が間に合わなかった苦い経験がある。結局教員の採用試験は受けずに、地方公務員の事務職になった。こちらは本気で就職しようとギリギリの最終段階で決断した結果である。最後の夏休みを利用して採用試験のための勉強をずいぶんとした記憶はある。
 



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