引続き句集「野哭」所収の「野哭抄」(1946.9~1947.12)から。
★わがための一日だになし寒雀
★凩や焦土の金庫吹き鳴らす
★咳つのる目を日輪のゆきもどり
★墓碑もなき幾万にかく冬枯れし
★寒雷や今は亡き目を負ひて生く
★掌をみつつさびしくなりぬ冬の雁
★火の記憶牡丹をめぐる薄明に
★宙にわく雪片一縷ののぞみつづく
第1句、教員組合の役員として奔走していたころの句であろう。
第2句、焼け野原の東京、焼けた一角に金庫が放置されている光景。大切な金庫がまだあるということは、そこに住んでいた人とその家族は空襲ですでに皆亡くなってしまったのだろうか。あるいは扉がこじ開けられ残骸だけが残っているのか。敗戦も一年以上がたっても、放置されている土地である。焦土の情景を詠んであまりに有名な句。
第3句、詞書に「全官公労ゼネストを前に委員会出席、その後病臥」とある。戦後のあの有名な、不発となった全官公2.1ゼネストの前夜の行き詰る緊張感が私には伝わってくる。その時はわたしはまだ生まれていなかったが、小学生の時にも当時のことを生き生きと語る方が近くに住んでおられた。日本中が固唾を飲んで注視していたのである。
第4句、第5句、第7句、戦争や空襲で亡くなった友人や親族の目を意識しながら戦後の時間を過ごしている。
第6句、啄木の「一握の砂」の「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る」が念頭に当然ある。戦後の「革命期」、その挫折が見えてくる。啄木の運動体験と重ね合わせている。
第8句、「挫折」はしても、どこかで雪片ひとつにのぞみを託す、あるいは若い人のエネルギーに何かの期待をする、そんな私自身の燃え尽きない熾火のような何かを重ね合わせて読んでしまう。