本日まで読んだのは、「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」の第2章「幕末に花開く裸体芸術」の第1節「菊地容斎の歴史画」、第2節「生人形に見る究極のリアリズム」、および第3節「過渡期の折衷的な作品群」の途中まで。
「春画では身体が喪失しており、頭や性器が分節化されていて全体を形づくっていないのは、日本では性愛の観念が、視覚的なイメージだけでなく、触覚的で観念的なものに基づいていたためと見ることもできよう。養老孟司氏は、春画における身体の歪曲は、成功時の人間の脳内における生殖器の大きさを考慮して描いたものであるためという。春画は性行為のイメージや女性の秘部の美しさをしめしたものというよりは、触覚や妄想を含めた欲望の世界を開示したものであったといえるだろう。」(第1章「ヌードと裸体」第2節「江戸の淫靡な裸体表現」)
「(丸山応挙の《人物正写図巻》について)ヌードではなく、理想化をほどこさないありのままの裸体にほかならなかった。裸体が美とかけはなれたものであり、あえて鑑賞すべきものではないと再認識してくれる。日本で裸体が表現されるときには、ほとんどの場合こうした淫靡さや後ろ暗さがつきまとっていたのである。」(同上)
「黒田清輝以降の洋画家たちは西洋的なヌードの概念を学んだのだが、・・・日本で裸体が登場するときの伝統的な主題は無視され、顧みられることはなかった。・・生人形から豊かなヌード芸術への自然は発展の道は閉ざされた・・。日本のヌード芸術には、生人形の記憶は何らの痕跡もとどめていない。裸体に理想美を見出す西洋のヌード観とは最初から相容れなかったのである。」(第2章「幕末に花開く裸体芸術」、第2節「生人形に見る究極のリアリズム」)」
「裸体に理想美を見出す西洋のヌード観とは最初から相容れなかったのである。」ここがどのように展開されるのか、私のもっとも解明されてほしいところである。どのようなアプローチが続くのだろうか。