古井由吉の「この道」から「この道」と「花の咲く頃には」を読み終えた。残りは途中まで読んだ「雨の果てから」と「行方知れず」の2編。
「木の芽のふくらみであったか、あるいは小枝にすがる雨の滴であったか、とにかくそのひと粒ごとに、追憶がやどる、というような言葉に、誰の詩の内であったか、出会ったことがある。若い頃のことだったので、ひとしきり引き込まれたが、そこからぬけ出してくると、追憶というようなことは、自分には縁のあるものだろうかと疑った。苦くて甘いものではあるらしいが、恐怖や屈辱の記憶も都市を経ればそんな味をふくむものだろうかと思った。そう首をかしげたきり、年を取ってきた気もする。そして老年に入り、記憶も取りとめもないようになった頃に、ある日、追憶とは危機ではないかとつぶやいて、何を言っているのだかと自分で眉をひそめた。」(花の咲くころには)
この追憶というものの把握が私には不思議な印象である。私にとって追憶というのが、屈辱の過去が不意に頭の中に湧き上がってくる瞬間、くすぶり続け消えかった熾火のようなものである。苦くも甘くもない。恐怖でもない。ただしそれが湧き上がる瞬間というのは、生きるバランスを失している危機のときと言えるかもしれない。
過去は今の危機を反映している。フラッシュバックのように過去の危機を映し出して、今の危機を知らせる本能だと思えた。
そんな会話・反芻をさせてくれる小説だと思った。