夏の入道雲を見ながら、まずは横浜駅まで出向いた。1100円の理髪店をめざしたものの、10人以上が並んでおり、本日は断念した。
オープンスペースのある喫茶店でホットコーヒーを飲みながら読書タイム。午後の陽射しが直接当たるようになって、店を出た。
★夏雲や甍の反りのたしかなり 枇榔蓉子
★父果てしところを知らず雲の峰 八木昌子
★夏雲へ骨のかたちの膝立てて 谷野予志
★雲の峰過去深まつてゆくばかり 矢島渚男
第1句、固い甍と一見「柔らかい」とも思われる雲を、夏の空に明るい光によってともに「鮮明」な像を結ぶ。「鮮明な像」であることで、両者が結びつけられた。屋根の甍が太陽光を反射して眩しく光っているのが印象的である。
第2句、雲の峯が似合う南太平洋の何処かの激戦地での父親の戦死の報がもたらされたのであろう。ひょっとしたら幼くて父の顔も知らない作者なのかもしれない。敗戦から半世紀を超えても紡ぎだされる記憶。人間が捨ててはならないものである。
第3句、私は老人のやせ衰えた足と、もくもくと成長を続ける入道雲が対比されていると受け取った。孤独な老人が、成長力を見せつける入道雲を前に、過去を振り返っている図かもしれない。しかしそれは意外にも独立不羈の猛々しい人生が対置されているのかもしれない。現在の姿だけでは計り知れない、他者の人生に思いを致さなければいけない。
第4句、入道雲には膨大なボリュームを感じる。自分の過去がどんどんその嵩を増していく。そんな強迫観念にも似た重い過去に作者はこだわっている。
多くの人は明るく成長していく入道雲に成長の希望、若さなどを重ね勝ちであるが、私は性格がくらいためか、どちらかというと過去を引きづっている自分にこだわる。自分の過去にこだわり続けたい。
入道雲、遠くから見れば白く輝いている。しかし近づいてくると、空は暗くかき曇り雷雨の様相である。雹・霰も降ってくる。過去の時間や体験は、他人が見ればかがやいているかもしれないが、自分に引き寄せればそれは悔恨と痛みと苦渋の積み重ねなのである。この想像力が真の友だちをつくるもとになる。
清々しい一日を感じます。
私は刻々と形を変える入道雲を見ているのが昔から好きでした。
そんな時は何も考えていなかった様な気がします。今でもですが。
男性、女性の違いかな!
雄大なものを見ると、誰しも気持ちがすっきりすることが多いですね。
男と女の違いではないと思います。
私が内向的すぎるのだと思います。