本日は2件の喫茶店を梯子した。久しぶりに妻と昼の外食を横浜駅の喫茶店でパスタとコーヒー。買い物後にいつものとおり別行動で、私は書店、妻は食料品の買い物。
書店をうろついて5冊ほどを購入。私は再び喫茶店で読書タイム。いつもとは違い繁華街の真ん中にあるチェーン店のコーヒーを注文。コーヒー代は席料のようなもの。一口も飲まなかった。
書店で購入したのは、「朝のあかり(石垣りんエッセイ集)」(中公文庫)、「西行」(寺澤行忠、新潮選書)、「湘南幻想美術館(湘南の名画から紡ぐストーリー)」(太田治子、かまくら春秋社)、「幻想美術館(名画から紡ぐストーリー)」(太田治子、かまくら春秋社)、「予告された殺人の記録」(ガルシア=マルケス、新潮文庫)の5冊。
2軒目の喫茶店では、「幻想美術館」から16編を読んだ。私などは絵画作品を目にしたとき、つい構図や色彩の配置、形態のあり様など分析的に見ようとしてしまう。気持ちの上では、絵画作品から紡ぎ出される「物語」を読み取ろうとするのだが、どうしてもそれが後回しになる。どちらの見方が正しいのか、ということはない。しかし後者の見方のほうがより印象に残るし、奥行の深い見方だと、思っている。
著者の太田治子は、太宰治の娘。現在76歳。日曜美術館の初代アシスタントを1976年から3年続けていた。多分私も見ていたはずだが、あまり印象はない。
この本におさめられているのは70歳から76歳までの連載を収録している。収録された物語はどれもが短い。わずか原稿用紙2枚に満たない掌編である。しかしこんな物語を紡いだのか、という新鮮な驚きがあることも事実である。私とは違う感性に基づく物語に出会うのもまた楽しい。新しい視点に敬服する。同じような物語を紡いでいてもまったく同じということがないのがまた楽しい。
またこれまで注目していなかった絵画作品に新たな視点を得ることができたものもあった。
年齢から判断すると、ずいぶん若い感性を持ち続けられていることに脱帽する。同時に私のほうが4歳年下なのに、どうしてこうも私の頭が硬くなってしまったのか、とがっかりする。
疲れた頭を癒してくれる感じがしている。