「現状維持を望みながら、他方大きな変革をも必要としている。悲観的ともいえるが、それはまだそれほど極端なものになっていない。危機意識については、一応現状の生活に満足しているせいもあるのか、深刻な状況とはうけとめられていない。こうした傾向がこの数年間変わっていないという認識がある。これは現代社会の生活文化をとらえる場合にも特筆すべき指標ではあるまいか。現実に曖昧な不安を漠然として感じながら、一挙に終末を招くという危機感が明確でない。こうした行き詰った感覚が、社会の深層部から痛低音としてひびいてくるのです。・・この現象をさらにもう一歩突っ込んでいくと、何か説明できないだろうか。一種の時代の移り変わる時期に生じている慣習化された無意識として、「世の終わり」そういうものが反映したフォークロアが、時代が転換しそうな時に浮上してくるのではないか、と考えました。現代世相を示す三面新聞記事の具体的な事実と、古代日本人の心意とが何か結びつかないかと思っています。」
「現代の多様なメディアの情報が生活文化化するという現象が都市生活の中に生じています。伝統的な民俗文化が脚色されたり、演出されて、新たな都市の民俗文化に変容することによって、事実とフィクションの関係がますますあいまいとなってしまったことが、若者の幻想を妄想へと駆り立てていったのでした。」(附 「都市とフォークロア」)
この結論部分については、まだ私にはスッキリしないこともあるので、しばらくは考え続けないといけないようだ。