昨晩に続いて「神奈川近代文学館第146号」を読んだ。
・胸骨を風にさらして-中島敦という“法外” 辺見庸
「中島は「在る」ということの最も基本的な自明性を、おそらく戦時下にあってさえ大胆に疑った。‥存在の(ひいては「世界」の)不確かさと無根拠を語る。この訝りはどこまでもラディカルである。外部世界のみならず、自己存在の根っこにまで疑りが向けられてゆく。いままた、死者・中島敦の唇が動いている。‥「俺というものは、俺が考えている程、俺ではない」(カメレオン日記」)。そう呻いているようだ。」
・人間を見つめる 寺尾紗穂
「(南洋庁の役人として赴任した中島敦は)島民という他者を、きちんと見つめて描こうとしたように思う。‥中島敦の視点がいつまでも古びない理由の一つは、対象をきちんと見ようとしているということなのだろうと思う。それが文学や芸術という話を超えて、人間としてどれほど大切な知性の在り方であるか、彼が短い生涯に残した、決して多くはない作品たちがこれからも誰かに伝え続けてくれるだろう。そのことにただ、希望を感じている。」
先に記した「図書10月号」の「中島敦・土方久功とポナペ島ジョカージ叛乱」(小谷汪之)と読み比べると寺尾紗穂氏の「人間を見つめる」は興味深い。