ようやく堀田善衛の「ゴヤ」を読み終わった。この第4巻を読み終わるまでに気になっり、記憶にとどめたいと思ったところ30か所ほどに付箋を貼ったけれど、読み終わるまでに時間が経ち過ぎて、何故その付箋を貼ったのか記憶に残っていないのがとても悲しい。
「私には彼の同時代人中で、ウィーンの作曲家ベートーベン氏が彼と、深いところでの共通性をもっていると思われる。時代と環境の苦渋をこらえながらも、べーとーべ同様決して厭人症などになることはなく、常に人間性へと回帰し得る通路をしっかりと内蔵しているのである。‥」
「その共通性、あるいはまた人間性・生命の源泉とはどういうものであったか。このもっとも本質的、かつほとんど不可能な難問を考えるについては、ある共通性をもつベートーベン氏よりも、‥フランスの同時代の画家たち、新古典主義の諸氏と対比していく方が考えやすい‥。」
「新古典主義者諸氏もまた、大革命、恐怖政治、ナポレオン独裁、ルイ18世復活などの、諸価値の転倒、再逆転などの思想的辛酸を経て来ているのである。‥彼らはその長きにわたる危機業況を、美、あるいは理性の定立ということを先に立て、そこで、美、あるいは完璧性というものを法則的な古典、古代に見るとい迂回路を経ることによって切り抜けていた‥。」
「画家ゴヤが経なければならなかった価値の転倒、再逆転の思想的辛酸も決してピレネーの向うの職にな劣るものではなかった。貴族と聖職者支配社会の消滅、フランス革命の源流となった‥“光”としての啓蒙思想と、‥その余波をうけてのスペインにおける諸現実。‥ダヴィドは、マラーの死を、ソクラテスの死であるかのように描き‥死そのものを永遠のものとした。しかしゴヤの民衆は、偉大な革命家でもソクラテスでも何でもありはしない。無名の民衆であるにすぎない‥。もっとも根源的な、普通の人間の存在と自由、その第一義のものが問題とされていることに気付かされる‥。」
「‥注目されるのは、彼が複数人間、つまりは群衆というものに並々ならぬ関心を予定ることである。70歳をとうに超えた老人が、老いてますます群衆というものの存在に興味をもちはじめるとはちょっと想像しにくいところであるが、この辺にも多数の人間の行うものである戦争や暴動というものから来た何物かがあるのかもしれない。」
「ゴヤの宗教理念について一言だけを言うとすると、それは聖職者に代表される瞑想的生活と、俗人における現実生活との統一、弁証法的昇華、ということであろう。」
「子殺し、聴覚喪失、性の死刑執行人であると同時にその死刑囚でもあることの自覚、女性憎悪、それら四つの深甚重大な要素は、煎じ詰めれば一つのことである。死に近くして、その自覚が一層に激しく、それを明らかに描き出しておのが眼で直視しない限りは、これを克服する道なしと考えたとしても不思議ではない。‥私にはこのゴヤに重なって「カラマーゾフの兄弟」を書いているドストエフスキーの姿が見えて来る。‥人間が人間に対してなし得る恐るべき悪意と残虐のすべてを描き切った版画集「戦争の惨禍」を思い出してみることも必要である。‥80歳に近く、なお彼は巷に出て人々の生活情景をみることに貪欲である、‥道を歩くことが困難になり、ぴっこをひいたり、「おれはまだ学ぶぞ」と詞書されたその頃のデッサンにみられるように、両手に杖をもって辛うじて身を支えていた‥」
私はヨーロッパ大陸の西のスペインと東のロシアといういわば「両辺境」の地の対比の考察をしようとする堀田善衛の方法についてとても惹かれた。両地方の同時代の、文化の同時性というのはなかなか示唆に富む比較である。同時にそれはヨーロッパ・アジアという枠組みだけではなく、脱亜入欧にその近代の足掛かりを確保しようとした極東の日本とスペインとの比較という魅力も横たわっている。
私はゴヤの作品についてはほとんど知識がなかった。ただ「黒い絵」の「我が子を喰らうサトゥルヌス」というおどろおどろしい晩年の作品、その意味するところが分からなかった「巨人」(1808-12)、「五月三日」(1814)という銃殺がまさに行われようとする瞬間の作品、ほんの数枚を見ただけの版画集「気まぐれ」(1797-99)・「戦争の惨禍」(1808-14)、センセーショナルに語られる「着衣のマハ」・「裸のマハ」(1803-06)、実在の人間たちとは思えない亡霊のような「カルロス四世家族図」(1800)を見ただけである。その生涯も時代背景にも疎かった。
ゴヤという画家は近代国家がスペインに生まれようとする前後にその悲惨を描き、近代の「画家」が自らの内面を描くことの端緒を切り開いたと理解した。そこでは「遅れたスペイン」であるがゆえに「近代」を先取りすることに成功したのであろう。
今後機会をつくって「戦争の惨禍」、「気まぐれ」、「妄=ナンセンス」、「黒い絵」のシリーズなどをじっくりと味わいたいと思う。そしてスペインという国の私のイメージを作り上げたい。
なお、最晩年の「俺はまだ学ぶぞ」(1825-27)という作品は、80歳になろうかという時の作品であるが、この執念を知り、葛飾北斎の臨終の言葉といわれる「天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は本当の絵描きになることができるだろう」を思い出した。
私は能力などないが、しかしかくありたいものである。