午前中に「方丈記私記」(堀田善衛)の最終第10章「阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ」を読み終えた。
さらに巻末には「対談 方丈記再読」ということで、五木寛之と堀田善衛の対談が収録されている。
まずはいつものように気になったところを覚書として。
これは著作のキーセンテンスとか、核心部分ということではなく、私が気になったり、新しい治験であったり、「私とは違う」と思ったりしたところである。むろん「なるほど」と思ったところもある。
そしてどれもが、全肯定でも全否定でもない。
1.「和歌所の寄人になってからは、芸術官僚どもの心の狭さと、世上一般に対する全的な、トータルな無関心、無関心でありうる能力、無視能力にも、ほとほと感心、あるいは呆れ果てもしたであろう。そういう、宮廷の閉鎖社会からも完全に脱けて出、かつは突き抜けて出てしまった。“夫、三界は只心ひとつなり。”堂々たる宣言である。」
2.「京の死者の屍臭は、御所のなかにも当然達していた筈である。しかし、如何なる意味においても、現実は芸術に反映することがなかった。‥現実を拒否し、伝統を憧憬することのみが芸術だった‥。千載集から新古今集にいたる間の、六百番だの千五百番だのという、途方もない歌合といわれる文学的行事の、そのどこに飢饉、屍臭、戦乱、強盗、殺人があるか。どこにも絶対ないのであるから、世界の文学史上、おそらく唯一無二の美的世界でる。異様無頼の「夢の浮橋」である。」
3.「(定家の歌論では)二つの拒否がある。まずは(当時の)現代日本語の拒否であり、第二には、現実を歌うことの拒否である。本歌取りとは、歌によって歌をつくることでり、すなわち芸術によって芸術をつくれ、現実を詠じてはならぬ、ということである。‥これは世界の芸術史のなかでも、ひた一つの文化論としても、まことに極端なものであろう。」
4.「生者の現実を拒否するという思考の仕方は、しかし七百年のむかしのことだけではないのである。一九四五年のあの空襲と飢饉にみちて、死体がそこらにごろごろしていた頃ほどにも、信州不滅だとか、皇国ナントヤラとかいう、真剣であると同時に莫迦莫迦しい話ばかりが印刷されていた時期は、他になかった。戦時中ほどにも、生者の現実は無視され、日本文化のみやびやかな伝統ばかりが本歌取り式に、ヒステリックに憧憬されていた時期は、他に類例がなかった。論者たちは、私たちを脅迫するようかのようなことばづかいで、日本の伝統のみやびを強制したものであった。危機の時代にあって、人が嚇ッと両眼を見開いて生者の現実を直視し、未来の展望に思いをこらすべき時に、神話に頼り、みやびやかで光栄ある伝統のことなどを言いだすのは、むしろ犯罪に近かった。天皇制というものの存続の根源は、おそらく本歌取り思想、生者の現実を無視し、政治のもたらした災殃を人民は眼をパチクリさせられながら無理やりに呑み下さされ、しかもなお伝統憧憬に吸い込まれたいという、われわれの文化の根本にあるものに根づいているのである。」
5.「危機意識と無力感が、彼らの貴族集団内だけで通用する先例と故実、‥古典の蒐集、完成を目ざさしめた。そこに彼らの集団外では何の意味もない先例を規範とし、‥生活自体が本歌取りと化した閉鎖集団が出来たのである。‥すなわち生活自体がフィクシオンと化した。」
6.「歴史と社会、本歌取り主義の伝統、仏教までが、全否定されたときに、彼にははじめて「歴史」が見えてきた。皇族貴族集団、朝廷一家のやらかしていることと、災殃にあえぐ人民のこととが等価のものしして、双方がくっきりと見えてきた。そこに方丈記がある。すなわち彼自身が歴史と化したのである。」
7.「私には、この時代について、及びこの時代の「世」について考えるとき、二人の、二つの極に立つ人の姿が見えている。長明が一方の極にる人として、さらにもう一方の極にある人としては、身みずから、罰せられて「世」に出て衆生救済そのものと化した人としての親鸞が見えている。しかも長明がかくれた日野山の、そのすぐのふもとに親鸞が生まれたとは、何たる縁というものであろうか。長明かくれて親鸞出づ。」
私には4に違和感があった。堀田善衛の戦中体験のところ、この論の肝にあたる部分である。あの戦争遂行体制の中で、暴力的な思想統制、社会のすみずみまで変てこな国体思想や軍事思想が浸透してきたと聞いてきた。しかしそこには「日本文化のみやびやかな伝統」を踏まえたものなど匂いもしない。あるのは暴力的で抑圧的で非情緒的で、ましてや非論理の塊のような強制であったはずだ。定家の念頭にあったのは、藤原氏の専権がゆるぎなくなり、天皇家との一帯が確立して以降のそれこそ「雅」な世界であるが、1945年の時に流通していたのは、7世紀の天皇制の確率以降にも存在しなかったあまりにいびつな国体「思想」ではなかったのか。
そして話を2020年と比べてみると、1945年の当時の日本の政権の在り様が、ダブって見えてしまう。現実をみようとしない、現実を見る能力がなく、都合が悪い現実はなかったことにして先延ばしする。取り巻きの人間との癒着、この無責任の体系はまさに1945年の悲惨と2020年は無関係ではない。それはこの「私記」が書かれた1971年とも重なる。
「天皇制」を拠りどころとする者は、もっとも「天皇」とは無縁でそして遠い人間でもある。そのような人間に依拠せざるを得ない「天皇制」というものはいかなる形態をとろうと私は拒否する。
4は少し言葉が足りないのではないか、と思った。ただし5は集団論、組織論として傾聴したい。
6と7は生煮えの感がある。少し結論を急ぎ過ぎていないか。飛躍があり過ぎないか。私の読みが足りないとは思うが、もう少し私の中で咀嚼してみたい。