昨日訪れた「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」でこんなチラシを見つけた。7年前に対馬を訪れたとき、ここに記されている雨森芳洲(1668-1755)の墓を訪れたり、対馬市にある長崎県立対馬歴史民俗資料館を見学した。朝鮮通信使のことは知っていたが、雨森芳洲の事績や人物を知ることで、通信使がより身近に思えたものである。
今のような時代状況だからこそ、このような取り組みが地道に行われていることは意義があることと思えた。
雨森芳洲は今の長浜市域の出身で、1692年に対馬藩に出仕、朝鮮にもわたり、2度の朝鮮通信使に随行した経歴をもつ。
私はお金も時間もなくて参加できないが、ブログに掲載して記憶にとどめておきたい。