本日は「近代絵画史(上)」(高階秀爾)の第7章「印象派の画家たち」、ならびに第8章「印象主義の超克」の途中まで。
「印象派の画面は、多彩な虹の七色の交錯する万華鏡の世界になってしまった。合理的な空間構成の意識もなければ、形態把握の意志もない。あるのはただ、ほんのわずかの色調の差異にも鋭敏に反応する感覚世界だけである。モネの晩年の作品を前にして、ほとんどめまいにも似た陶酔を覚えるのも、そのためであろう。それなればこそセザンヌは、モネのその「眼」をあれ歩ざまで小用したのである。モネほど徹底して「ひとつの眼」になりきることのできなかった画家たちが、印象派の感覚世界にあきたらず、あらためて合理主義的な、知的な秩序と構成を求めるようになったのも、当然の成り行きであった。‥印象派の仲間の間におけるその代表的な実例を、セザンヌとルノワールというふたりの優れた天才の作品に見ることができる。」
そしてルノワールとセザンヌ論に筆が進んでいく。セザンヌの言葉として「絵画には、ふたつのものが必要だ。つまり眼と頭脳である。この両者はお互いに助け合わなければならない。その両者の相互的発展のために、画家として務めなければならない。すなわち、眼は自然に対するヴィジョンによって、頭脳は表現手段の基礎となる組織された感覚の論理によって‥」という言葉を引用している。
私はどうしてもルノワールの作品は敬遠してしまうのだが、高階秀爾の評価をじっくりと読みたい。明日以降に期待することにした。
だがセザンヌの有名な「モネはひとつの眼だ。絵描き始まって以来の非凡なる眼だ」という評も、「眼」と「頭脳」というふたつの言葉を合わせて考えると、興味深いものとなる。
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