すいぶんと時間がかかってしまったが、ようやく読了。いつものように覚書として。
「将軍は四季を通じて思うままに鷹狩に興じ、大名たちは邸宅内に所狭しと珍鳥を集め、飼鳥する。巷では舶来の植物や鳥類の育て方を指南する書物が飛ぶように売れ、民衆は春は総出で花見に遊び、木戸銭を払っては〈奇獣〉の見世物小屋へと足を運ぶ労を惜しまない。それぞれの動機や興味は異なるもの、自然物を無条件におもしろがり、愛で、楽しむということが、‥江戸時代にはあらゆる階層の人々の生活の中にあった」
「江戸時代の博物学や植物図譜の輝きは「近代化」の三文字の上に、歴史の隅へと追いやられた。して自然科学研究の急速な発展は、最終的には江戸の科学=「博物学」を過去の遺物として貶め、「博物学」だけが持ち得る、多くの豊かな世界観を打ち消したのだった。この〈江戸時代博物学〉の否定は、そのまま〈江戸博物図譜〉の忘却へとつながり、そこに展開された科学と美術・芸術との、深く親密な連携の様相とその美しさを私たちは長い間しることもなく過ぎてしまった」
「ゴンクールが歌麿の花鳥に深い共感を得たり、クリストフル社の職人が真剣に日本の「禽鳥帖」を写し取ろうとした背景には〈博物学〉と、それを応用し成熟させる美術が、確かに根付いている社会が存在していた」
「18世紀以降、江戸の人々が熱狂的に西洋の博物書を手に入れ、模写しようとしたのかがわかる。それは繰返すまでもなく、西欧が「大博物学の時代」を迎えていたその時、極東の江戸の地もまた〈江戸博物学〉の爛熟の時代を迎えていた。〈博物学〉という、「共時的む文化の
中に生まれた〈博物図譜〉という絵画は自然界を理解する「視覚言語」として、給与得されるべきものとして存在」した」
「明治維新を境に、日本人は‥〈江戸博物学〉という一つの文化遺産を、歴史の中に置き去りにしてしまった。‥〈江戸博物学〉と〈江戸博物図譜〉は‥そのせいようからの光が当てられることによって、歴史的意味をいきいきと語り出す。江戸という時代の特異な〈過去の遺物〉ではなく、「自然と人間」あるいは「科学と芸術」という、時代や地域を超えて、美術において普遍的に追及されるべき重要なテーマを担い、私たちの前にそれを率直に提示している」
江戸時代中期以降の「博物学」的な絵画を、江戸時代のさまざまな文化・芸術・芸能にも言及しながら幅と奥行き深く論じている。
小野田直武の位置付けから狩野派、大名間の鳥を中心とした博物学の流行、鷹狩の文化史的位置付け、花鳥図の浮世絵版画などなど興味は尽きなかった。
私がとりわけ注目したのが、歌川広重の花鳥画。俳諧が添えられた作品は多数が図版として掲載されている。どれもが魅力的である。これは是非彩色された図版で、まとめて見たいものである。
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