いつものとおり喫茶店でコーヒータイムと読書タイムをと意気込んだ。「「おくのほそ道」謎解きの旅」(安田登) の第 3章「死出の旅 現実との別れ、異界との出会い」を読み終えたかったが、2/3程の所で眠気に襲われて30分ほど熟睡してしまった。
読書を続けようとしたものの、どうしても目をあけられなかった。やはりお疲れのサインだったのかもしれない。体の何処の疲れなのか、精神的な疲れなのか、わからないままである。
こういう時は眠気に抵抗してもいい結果にはならない。睡魔に抵抗しながらもそんな思いもしていた。30分余りの睡眠で自然に睡魔は消えた。
気分を変えるために店を出て、自分の買い物を始めた。髭剃り後の乳液、歯ブラシともうひとつを購入する予定であった。髭剃り後の乳液は購入したものの、いつもの歯ブラシは品物がなく、とりあえず断念。さらに三つ目の購入予定の品がどうしても思い出せない。
たった三つのことを覚えていられない自分が情けなくなった。これが年齢の所為なのか、単なる不注意なのか。
BS放送の「機能性表示食品」のコマーシャルでは「脳の衰え」として脅迫するように商品の宣伝をしているが、そんなものには騙されたくはない。そんな思いも頭を過ぎった。
どこかモヤモヤしながら帰りのバスに乗り、帰宅。家に着いたとたんに「麦茶」を買おうとしていたことを思い出した。帰宅した直後に思い出したことに苛立った。
しかしあまり苛立つのも精神衛生上は芳しくない。こんなことはさっさと忘れて、メモを1枚財布に挟んでおけばいいこと。些細なことが気になるのは、やはり体のどこかが疲れていると自己主張している場合なのかもしれない。
自分をなだめながら、これを書いている。
落ちも愉快である。気づいたときは、手に届かない場所に来ていて、それが、麦茶であった、とは、麦茶は私も大好きであり、 水道水を入れて作る経済的なものから、ペットボトルのものまで、いろいろである。この思い出さない〈物品〉が愉快なのであろうな……まあ、しっかり世の中から外れすぎていないところが、この管理人さんのいいところであろう。
ありがとうございます。
メモを見ることも忘れる、私も経験があります。
スケジュール帳を見ることを忘れたことが幾度もあります。
知人や友人に迷惑をかけないようにしたいものです。
コメントありがとうございました。