★桐火桶無絃の琴の撫ごゝろ(蕪村)
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蕪村は陶淵明を敬愛していたといわれる。無絃の琴、というのは陶淵明は琴は弾けなかったが、酒に酔うと絃の無い琴を撫でて、無為自然な振る舞いを愛した、という故事に因む。陶淵明は「桃花源記」の作者でもある。
句意は、冬に桐火桶を抱いていると、陶淵明がこよなく愛した無絃の琴を撫でるというような気分になる、とでも解釈できようか。
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私は、以前はこの句が好きであった。しかし蕪村の描く武陵桃源図の人間のあまりに生々しい表情に首を傾げてきた。あまりに俗っぽい表情なのである。そして私は「撫ごゝろ」というのが最近はとても気になる。火桶を撫でるという行為は人の温もりも欲することでもある。しかし無絃の琴を撫でるという行為は人の交わりからは離れる指向、孤独へ馴致ではないだろうか。そこが俳諧らしいひねりといわれればそれまでだが、少々違和感は残る。
ひょっとしたら、蕪村ならではの陶淵明批判なのかもしれないという風な解釈もできるのかと考えるようになった。
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蕪村は陶淵明を敬愛していたといわれる。無絃の琴、というのは陶淵明は琴は弾けなかったが、酒に酔うと絃の無い琴を撫でて、無為自然な振る舞いを愛した、という故事に因む。陶淵明は「桃花源記」の作者でもある。
句意は、冬に桐火桶を抱いていると、陶淵明がこよなく愛した無絃の琴を撫でるというような気分になる、とでも解釈できようか。
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私は、以前はこの句が好きであった。しかし蕪村の描く武陵桃源図の人間のあまりに生々しい表情に首を傾げてきた。あまりに俗っぽい表情なのである。そして私は「撫ごゝろ」というのが最近はとても気になる。火桶を撫でるという行為は人の温もりも欲することでもある。しかし無絃の琴を撫でるという行為は人の交わりからは離れる指向、孤独へ馴致ではないだろうか。そこが俳諧らしいひねりといわれればそれまでだが、少々違和感は残る。
ひょっとしたら、蕪村ならではの陶淵明批判なのかもしれないという風な解釈もできるのかと考えるようになった。