昨晩、いつもの「方丈記」の書き写しを行った。第2段の全体の8割を終了。あと1回では無理かもしれないが、いづれにしろもう少しで第2段は終わる。
昨晩書き写したところは、仁和寺の隆暁法印による、飢餓で亡くなった都人の額に梵字の「阿」字を書いて縁を結ぼうとした行為を記した部分。
私などには法印の行為の必然が理解できないとしても、その行為への執念には驚く。当時の京のあり様の異様さは理解できないわけではない。つい80年前の戦争中、そして戦後直後の首都東京の空襲後のありようとも酷似していると感じた。戦争末期は飢えと空襲という火による惨禍との違いはあるものの身近にいた私の先行世代の体験領域であり、戦後の飢えの時代はさらにごく身近な先輩の体験談として幾度も耳にしたのが私の世代である。
そしてこの隆暁法印の時代の惨禍の原因も、80年前の惨禍もともに人災、失政のツケによるものであるという共通点がある。
人間の社会は、世界は、日本はこの850年、本当に進化したのだろうか。
最新の画像[もっと見る]
- 新年を迎えて 11ヶ月前
- 謹賀新年 2年前
- 「渡辺崋山」(日曜美術館) 5年前
- 謹賀新年 5年前
- 謹賀新年 6年前
- 「ものの本質をとらえる」ということ 7年前
- 台風18号の進路が気になる 7年前
- 紅の花 8年前
- 「ゲルニカ」(宮下誠)読了 8年前
- 国立近代美術館「コレクション展」 8年前