Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「西洋音楽の正体」

2021年09月06日 21時52分45秒 | 読書

   

 「西洋音楽の歴史 調と和声の不思議を探る」(伊藤友計、講談社選書メチエ)を読み終わった。後半、引用しようかと思った個所もあったが、最後の終章の2個所の引用にとどめておくことにした。

「和声学の始祖ともいうべきラモー(1683-1764)」について「音楽現象は自然に還元できるという考えはラモーを終生捉えて離さなかった。音楽の根源はヒュタゴラス以来の数比の伝統に則ることでさかのぼることができると考えたが、近代科学の知見に触れて以降は倍音という自然現象こそが音楽の根源であると捉えた。しかし科学によって音楽現象を自然に還元しようとするラモーの試みはことごとく失敗した。音楽に何らかの統一原理が存在するはずだという強固な信念を捨てきれないラモーは晩年に至って神や創造主といった神秘的宗教観へと傾き一生を終えた。‥“自然現象こそ森羅万象の根源”という「自然観」はラモーに限ったことではなく、この時代全体の最重要キーワードの一つであった‥。」(終章「音楽と自然」 (2)「“自然探求”と音楽」)

「ヴィヴァルディの《四季》やベートーヴェンの《田園交響曲》など自然描写そのものを指向した楽曲は多数存在する。しかし‥彼らの楽曲の素地であり土台である音階や和声は紛れもなく人工物である。‥古代ギリシャの時代から音階の設定にどれだけ思考を働かせ、16~17世紀に「現代の調性」が明確な姿を整えるようにまるまでに、どれだけの人間の思惟が絡んできたかを見てきた‥。西洋音楽は、人間の知的鋭意が長年の時間のなかで、歴史的、文化的、民族的、経済的、宗教的等に構築してきた人間の所産である。素朴な「音楽=自然」観には真摯な反省が求められるべき‥。しかし音楽の自然面を完全に無視するのもバランスをかいた見方であろう。‥「楽音」が生み出されるためには自然界の「音」がまた必要とされるからである。」(終章「音楽と自然」 (5)「音楽と自然-総括」)

 著者自身も最後に触れているが、西洋音楽を「調」「調性」「和声」から考察しているが、「リズム」という観点には触れていない。以降の著者の論考に期待することとしたい。

 



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