5月も下旬、本日病院の帰り、街路樹の高木の下に植えてある紫陽花が咲いているのに気がついた。「緊急事態宣言」と「外出自粛」に振り回されている間にすでに紫陽花の季節になっていた。
「緊急事態宣言」以前は基本的には土曜日の夕食は外食、といっても家の近くの中華料理、イタリア料理、蕎麦屋、焼き鳥居酒屋、喫茶店などを順繰りに回っていた。
「緊急事態宣言」後、4月いっぱいは家でいつものように食べていたものの、5月からは土曜日の昼間にそれらの店をまわっている。
本日は時どき妻の肩につかまりながら、病院から中華料理店まで10分ほど歩いた。途中、紫陽花とさらにその下に咲いている花をスマホで撮影してみた。
お店で注文したのは、チャーハンと焼きそばを各ひとつ、半分ずつ食して、合わせて1500円。
それでもお腹いっぱいになる。もう少し若ければ、餃子の一人前でも追加注文したかもしれないが、もう無理である。
地元のスーパーで若干の買い物をしたが、荷物は妻にすべて任せて、私は空身で後ろをひょこひょこ歩いた。
★紫陽花の蔭に目があり見ればなし 加藤楸邨
この句「野哭」の「流離抄」におさめられている。1946年の句。この句の前には「教員組合結成会議席上」の前書きのある「飢餓線といふ語うべなひ焚きけぶらす」という句もある。戦後の混乱期の、しかも新しい労働組合運動に携わる加藤楸邨にもさまざまな監視もあったと思われ、その緊張感が伝わってくる。
「目があり見ればなし」の語が緊張感をもって伝わるのは、紫陽花の厚い葉蔭は紫陽花の鮮やかな花の色と厚い葉のために暗い「闇」が控えているからである。社会の実相も、さらに作者の緊張と不安の心象をも「写し」出す「写生」である。