第2章「宗教画」では多くの作品に惹かれた。
展示順では、
・クラーナハ(父)の「イサクの犠牲」、イサクとアブラハムが大岩の上に小さく描かれ、大岩の下に従者二人とロバが絵の主題のように描かれていた。珍しい構図である。そして従者二人の表情がこのドラマには一切無関心に寛いでおり、宗教画の名を借りた他の目的のための作品のように感じた。
・はじめて名を聞くジロラモ・フォラボスコの「ゴリアテの首を持つダヴィデ」、ダヴィデの上半身が画面からはみ出しそうに大きく描かれ、巨人ゴリアテの首を重そうに運んでいる。首が画面上方に暗く目立たずに描かれており、場面説明が過剰な旧約聖書のエピソードを題材にした作品として珍しい構図のように思えた。ダヴィデの迫力ある描き方に惹かれる。
・これもはじめて名を聞くマルコ・バザイーティの「聖母子」。美術館のホームページから画像を拝借した。初めはマリアの造形と背景の景色に惹かれた。展示解説ではビザンティン美術のイコンの影響があるとのことであった。しかし赤子キリストの造形がぎこちなく、違和感を持った。後にキリストの姿勢は磔刑を暗示し、足元は棺をありこれもキリストの死を暗示していると教わった。
・ルーベンスの「聖母を花で飾る聖アンナ」は幼い子どもの姿態を示す天使がいかにもルーベンスらしい。天使も入れて9人を超える人物が描かれているが、聖アンナの老いても気品のある表現に焦点を当てている。焦点が鮮明で散漫にならないところに魅力があると思った。
・クラーナハ(父)の「聖バルバラ」は、1520年以降の作品ということであるが、人物の造形が生きている。そして人物の背景に金箔をはっており、日本の金屏風の諸作品を思い浮かべた。作品の題材などはかけ離れているが、金箔を背景に使うという共通性が不思議に思えた。インドでは金の背景の絵画はあるらしいが、中国ではそのようなものは聞いたことがない。アジアの東の果ての日本の美術とどのような影響関係が想定されるのだろうか、と思っている。
・今回の展示で私が一番惹かれたのが、やはり初めて名を聞くシモーネ・カタリーニの「少年の洗礼者聖ヨハネ」。展示解説では「ヴェネツィア派の影響を受け‥、グイド・レーニのような明暗表現を採用しつつも‥、カラバッジョの様式と接近‥」と記してあった。造形的に右手の指が大きすぎるのであるが、しかし、この手が羊を守るような仕草が生きている。繊細な指が柔らかい羊の毛を感じている。顔から肩に掛けたあたる光の曲線が右手の指先に至り羊の顔まで続いて円環をなしている。これが効果的である。
・最後にグイド・レーニの「マグダラのマリア」。これは何回か見たことがあるのか、あるいは同じような作品がいくつかあるのか、分からないが、意識を失ったかのような恍惚の表情は印象的である。しかし見方によってはあまりに極端な恍惚の表情でもあり、好悪がありそう。
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