Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

共同作業の大切さ

2024年03月18日 22時31分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の退職者会幹事会はとても疲れた。一部不手際もあり、作業のやり直しもあった。1000部の発送作業のやり直しというのはとても大変な作業となった。しかしそれも多くの幹事の協力でなんとかこなすことが出来た。ワイワイガヤガヤとそれなりに楽しくこなした。
 やはり作業を共同でこなすという作風は今後も大切にしたいものである。一人の努力で組織というものは成り立つものではない。むろんそれも大事なことではあるが、みんなで一つをことを日常的に成し遂げるという達成感こそが、組織の要だということをあらためて実感した。

 そのようなこともあり、本日の打ち上げは楽しく、お互いの苦労を労わり合うことが出来た。

 ということで、本日はとてもいい気持ちで酔ってしまった。本日の作業はこれまで。


今晩はモーツアルト「ホルン協奏曲」

2024年03月17日 22時34分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 夕食は久しぶりに娘を交えて。娘が帰宅後は、静かにモーツアルトの「ホルン協奏曲」の第1番から第4番、ならびに同梱の「ホルンとオーケストラのためのロンドK.371」を聴いている。ホルンはペーター・ダム、ネヴィル・マリナー指揮でアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ、1988年の録音。
 何となく疲れた時や、静かな時間が欲しいときはこの曲はいい。

 明日は朝9時前には家を出て、組合の会館へ。3月の退職者会幹事会。午前中は役員会等、昼からは作成した退職者会ニュースと、ブロックニュースの発送日、午後からは幹事会等、15時からは講演会。夕方まで目いっぱいの予定である。いつものとおり、きわめて慌ただしい一日である。


「都市空間の怪異」 その2

2024年03月17日 20時03分14秒 | 読書

 「都市空間の怪異」(宮田登)の第1章を読み終わった。第1節が1963年の論考、第2節が1993年のもの。ということで少し論点が移動があるが、そこは気にせずに読み終わった。

霊魂は、首から上に籠っているのであり、身体から切り離されていても、以前活動をしているのではないかという思いが分かる。近年の「脳死」における判定基準がもめるのも、脳の活動の不可避な部分と、伝統的な霊魂観のからみがあるためと思われる。現代人が語ったり想像したりした妖怪も、ないがしろにできぬ存在なのである。」(第1章「妖怪と人間との交流」 第2節「妖怪からのメッセージ」)

河鍋暁斎の描いた作品では、妖怪のイメージはすこぶる擬人化されていて、こちらの世界の生活ぶりとあまり変わっていない。江戸時代中期以降そうした傾向が深まっており、闇の世界にも昼間の日常が投影している。・・・明治三十年以降、百鬼夜行は姿を見せなくなった。・・近年放課後、子供が見かける妖怪が学校中心になっている。」(同上)


暖かいが風が強い

2024年03月17日 17時45分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は、ウィンドブレーカーでは暑かったので、本日は袖なしのベストだけで外出。それでも暑かった。昨日よりも高い21℃になった。
 風は昨日よりもかなり強い。正午前に最大瞬間風速17.8mの南西の風が吹き、それ以降も時々樹木の揺すられる音が室内にも響いてくる。強風・波浪・乾燥注意報が出ている日曜日となった。
 昼過ぎにふたりで買い物に出かけた。重いものは私のリュックに入れて、私は横浜駅へ。妻は生ものを買い物袋に入れて帰宅。
 私はいつもの喫茶店で30分ほどの読書タイム。横浜駅はやはり混雑していた。早めに帰宅。
 一方妻は、娘が来るというので、夕食に何やら珍しいものにいそいそと挑戦している。どんな味となるやら。


本日より「都市空間の怪異」

2024年03月16日 19時58分41秒 | 読書

   

 本日より読むことにした本は「都市空間の怪異」(宮田登、角川ソフィア文庫)。水木しげるの「百鬼夜行展」を見たからというわけではないが、「妖怪」というものの存在が人々の観念からどのように生み出されたのか、という疑問は昔からある。しかしそのことについては不勉強であった。念願のいい機会である。また引用されている絵画への関心もある。
 本日は読み始めたばかり。早速柳田國男の「妖怪談義」から始まる。

妖怪は怪異とか不思議、恐怖の対象であり、とりわけ神霊が他界と人間との交感の媒介機能を果たす重要な文化要素であり、アニミズムの世界に属する現象として、民俗文化の中に位置づけられてきた。」(第1章「妖怪と人間との交流」 第1節「妖怪の音声」)


空を見上げる

2024年03月16日 16時54分47秒 | 病い

   

 下剤の効き過ぎによるお腹の不調で食事をしないで我慢していることもあり、胃腸は空っぽ。調子は悪くなかった。軽い吐き気もあったが、午後家を出てしばらくしたら解消。

 いつものオフィス街の傍の喫茶店で、トーストを1枚と、コーヒーではなく紅茶を注文した。胃は一応受け入れてくれた。以前のように完治したのか、それは不明。
 1時間ほど、久しぶりに店外の椅子に座り、外気のもとで読書タイム。

 外は暖かく、横浜でも正午過ぎには4月下旬並みの20.8℃にもなった。ウィンドブレーカーを羽織って出かけたが、暑くなり腕まくりをした。ウィンドブレーカーではなく、メッシュのベストで充分であった。
 本日はスタスタ歩くのではなく、時折り空を見上げながら歩いた。青空が抜けるようで、春の空とはとても思えなかった。

 本日は用心して、早めに帰宅。読書の続きを布団の中で。


便秘と下剤

2024年03月16日 12時04分06秒 | 病い

   

 昨日よりも暖かい。太陽の光線も昨日よりも眩しい。

 先週の大腸内視鏡検査以来便通が思わしくない。かなり便秘気味。毎日1回の排便がつらかった。昨晩下剤を規定量よりも少なめに服用したら、腹痛が激しくなり、深夜に排便。その後水様便を3回ほどでようやくひと段落。その間、あまりの腹痛のつらさにほとんど眠れなかった。

 朝食も食べる気になれず、冷めた紅茶で降圧剤や抗血栓薬を服用したのち、再度布団に包まった。10時過ぎにようやく目が覚めて起き上がった。

 お腹の調子は少し違和感が残る程度に回復した模様。これより付近を散歩して、体調の様子を見ることにした。


ベートーヴェン「ピアノソナタ第30・31・32番」

2024年03月15日 21時31分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 昨晩と本日の夜に聴いていた音楽は、ベートーヴェンのピアノソナタ第30、31、32番。
 ベートーヴェンのピアノソナタはこの1枚しか持っていないが、一度聴いたら忘れられない3曲である。第32番は苦手、聴いていて頭に入ってこないし、どういうわけか堅苦しさが目立ち、落ち着かない。悲しいかな、苦手というしかない。
 私は何と言っても第30番の第3楽章の変奏曲(特に主題)が私の一番のお気に入り。今回もこの楽譜を見ながら一度聴いた。
 演奏はルドルフ・ゼルキンで1987年の録音。


読了「風俗画入門」

2024年03月15日 20時21分29秒 | 読書

 本日、第8章「風俗画としての浮世絵」を読み、全体を読み終えた。

浮世絵の語は1680年代初めから、江戸、上方の両方で出版される草紙、絵本の類に見られます。主に当世の美人風俗を描く図を指した・・。春画やそれに近いエロチックな描写が、そのころの浮世絵の本領であったことも察せられます。菱川師宣は、自ら浮世絵師と称した最初の画工と思われ・・。」(第8章)

枕絵こそは、やまと絵の伝統の継承者を自負する浮世絵師の技量の見せどころだったのです。枕絵の高い芸術性の秘密はそこにあります。・・北斎の有名な枕絵の肉筆画冊「浪千鳥」を見る機会があり、強い感銘を受けました。・・どの構図にも緊張感がみなぎり、画家の気分の芸術的高揚がじかに伝わってきます。・・一種の歓喜天曼荼羅と形容してもよい・・。」(第8章)

(久隅守景の「納涼図屏風」に)描かれた親子の気品ある顔つきは、農民というよりむしろ武士のそれで、土地から離され、城下の都市に住むことになった武士たちの田園生活への郷愁が感じられ、身分の拘束を離れた自由な生活へのあこがれもそこに込められているようです。」(第8章)
  この「納涼図屏風」に描かれた人物への言及として、私は全く同意である。私はもっと進めて、男を守景、女性を父と和解した娘とその子、という仮定があることをどこかで読んだことがある。とても惹かれる仮説だと感じている。

慶長や寛永の(風俗画の)女性像の美しい衣装の中には、生身の体があり、彼女らの笑い声、息づかい、胸の鼓動までが伝わってくる・・。それに比べると浮世絵美人は冷たく抽象的でさえあります。美化のゆきすぎが、対象の現実感を弱める結果をうんでいます。」(第8章)

「北斎漫画」の中で力強くユーモラスに展開されている庶民生活の種々相(によって)日本の風俗画は、初めて、庶民の目による庶民生活の描写に至り着いたということもできましょう。」(第8章)

 引用された作品は多数ある。記憶しているものを再見したときにおおいに参考にしたいと思った。

   



ツグミ

2024年03月15日 12時25分36秒 | 近くの自然

 久しぶりにツグミが南側のベランダのすぐそばにやってきた。多分毎年やってくるツグミである。今年もやってきたが、しばらく他の号棟のほうでウロウロしていた。
 昨年よりも一回り大きくなり、体の模様も鮮明になり、茶色と黒のコントラストが強くなった。また胸の斑点も目立つようになった。そして陽が当たると模様がよく映える。成鳥になったのだろうか。
 いつも一羽で、他の鳥よりは人との距離が近くとも逃げない。しかし常に孤独である。ハトなどの群れに混じることもない。他の鳥とも無干渉、わが道を行く姿勢を貫いているように見える。そんな孤独な有様が妻は気に入っている。

 ネットを調べると、10月頃シベリアから大群で渡ってくる冬鳥の代表。日本へ着くと群れを解き、田畑や低い山の林に散らばる。雌雄同色。3月なかばになると再び群れてシベリアへ帰る。冬鳥で日本ではさえずりをしません。それでツグミ(噤み)と呼ばれたという。鳥獣保護法によってツグミは保護鳥となっている。

 そろそろ旅立ちということで、今年の春の見納めも近いようだ。


「風俗画入門」第5~7章

2024年03月14日 20時17分52秒 | 読書

   


 昨日までに読んだのは、第5章「戦国から桃山へ」、第6章「桃山風俗画の満開」。本日読んだのは第7章「初期風俗画の爛熟」。残るは第8章「風俗画としての浮世絵」とあとがきのみとなった。

風俗画は近世になって突然現れたものでなく、それまでに培われた風俗描写の伝統の上に花開いたものであること、というよりもそれ自体興味つきないものである・・・・。」(第5章)

近世風俗画の展開は、寛文年間(1661-73)のあたりを境に、前後の二段階に分けられます。前にあたるのが、近世初期風俗画で、障屏画を主な画面形式として、上方でつくられました。日本風俗画上の文字通り黄金期・・。寛文以降の風俗画は、中心の場を江戸に移して、菱川師宣に始まる浮世絵にその展開を求めています。障屏画ではなく、木版挿絵が発展した一枚摺りの版画が浮世絵の画面形式の特色・・・。優れた芸術性はさておき、不ヴく描写の生き生きとして性格という観点からすれば、型にはまって後退したといってよい・・・。日本風俗画の最盛期を近世初頭においてよい。」(第5章)

慶長風俗画の描き手は主に狩野派です。・・・慶長風俗画の魅力は、何と言っても画中の人物たちの明るさ、健康さです。」(第6章)

慶長風俗画の画中人物は明るく典雅です。だが慶長の末から元和にかけての時期(1610年代)を境にして、風俗画の世界に新しい波-卑俗化の波-が打ち寄せ、変質させています。」(第7章)


ようやく読書タイム

2024年03月14日 18時23分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は予定通りに退職者会の私の属するブロックのニュースの印刷。印刷前に一部の記事のフォントを変えたり、小さな修正を施した。A4で100部ほどの両面印刷を終えたのは11時過ぎ。
 買い物がてら近くの緑道のオカメザクラをふたりで見て歩いた。すでにだいぶ散っており、盛りは過ぎていた。昼食後、それぞれの買い物をするためにお別れ。私は軍足を買いに作業衣の専門店を経由して、横浜駅まで。
 有隣堂、家電量販店、百円ショップなどをめぐってオフィス街の喫茶店へ。やっと「風俗画入門」(辻惟雄)の第7章を読み終えた。そののち忘れていたメガネの枠の調整のために、メガネ店へ。外に出かけるときに掛けるメガネの枠を無料で調整をしてもらった。無理を言って角度を少しだけつけると、格段に改善された。数か月前から遠近感がなくなり、遠くがひどくぼやけるようになっていた。
 視力検査とレンズの再調整を薦められたが、今回はこのまま様子を見ることにした。


一人居酒屋

2024年03月13日 21時01分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 1時間ほど前に帰宅。少々お酒が多かったかもしれない。
 日没とともに北風が冷たく感じ始めた。気温は8℃台なので昨晩と同じくらいなのだが、朝と同じに昨日よりも寒く感じる。
 本日は読書時間を確保しようと意気込んで出かけたものの、作業と会話に明け暮れ、読書時間はゼロ。見通しが甘かった。

 明日は昨日出来上がった退職者会のブロックのニュースの再チェックののち、我が家のプリンターで100部ほど印刷。終了後いつものように、喫茶店に出向いて読書タイムとしたいものである。

 本日の歩数計は1万1千歩。想定よりも多かった。ただし早歩きはしたものの細切れであった。昨日の連続5千歩のほうが、息を切らしてのウォーキングで「運動をした」という気分である。

 


昨夜のウォーキングで爽快

2024年03月13日 09時40分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は20時過ぎに雨が上がった。北風が強い割には気温が少しずつ上がっており、19時に7℃だった外気温は20時半には8.6℃まで上昇。
 気分よく夜のウォーキングに出かけた。いつもなら帰宅してくる勤め人が多い時間なのに人通りはなかった。車も少なかった。
 息が切れるほどに5000歩程を歩き、気分は爽快。

 本日も北風が強い。同じ北風でも昨晩とは違い乾いて冷たい。それでも最高気温が14℃の予報になっている。11時過ぎには出かける予定。
 持参する本は「風俗画入門」(辻惟雄)。残るは第7章「初期風俗画の爛熟」と第8章「風俗画としての浮世絵」そしてあとがき。出来れば本日中に読み終わりたいものだが、果たして集中できるか。


大雨・洪水・強風・雷・波浪注意報

2024年03月12日 17時08分22秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日は、大雨・洪水・強風・雷・波浪注意報が出ている。外には出たくないが、午後からは親の通院日なのでその付き添い。近くの病院ではあるが、いつものように往復ともタクシーを頼んでいる。雨の日ではなくとも15分程度の歩行がつらくなって1年ほどになった。

 午前中は退職者会の作業を少々。私の属するブロックの会報の原稿を3日ほどかけて作成。臀部の腫れ物の切開後に始めた作業、痛みが無くなったこともあり、はかどった。印刷は明後日の予定。

 雨の日は読書、としたいが私の場合はどうもそれが苦手である。家に籠ってじっくり読書というのが、昔から性に合わない。現役時代は30分未満の電車の中が一番集中できた。往復の電車の中、途中下車して喫茶店や居酒屋、あるいは昼食休憩時に近くの公園で読むのが楽しみであった。短時間の読書を場所を変えて繰り返す、これが私の読書パターン。
 家の中でソファやベッドで読み始めるとすぐに寝てしまう。最近は雨の日に家に閉じこもらざるを得ないときは、最初から本は読まないと諦めてしまう。晴耕雨読、私には似合わない熟語である。
 ただし、入院時には意地になったようにベッドの中で本を読む。寝てしまったらもう永遠に目をあけないのではないか、と勝手に自分を脅迫して眠気を払いのける。

 さらにこれだけ注意報が出ていると12年前に退職したにもかかわらず、雨の日の災害配備だから、出勤したらまず点検するのは何か、出勤者の整理は誰に任せるか、食事の手配は必要か、出勤要請の範囲を管理職はきちんとしているか、区内のあそこは今回は大丈夫だろうか、新任の管理職は役に立つのか、オロオロしていたり頓珍漢だったらどういう風にその気にさせるか、などを思い出しいる。そんな過去のことを思い出す自分に気がついて呆れてしまう。いい加減、頭から抜け落ちて欲しいのだが。