おかもとまさこのごはんBLOG

管理栄養士/国際薬膳師 岡本正子
食べものと食べ方で人生は変ります。
おいしく食べて幸せになるお手伝いをします。

わが町の愛すべき銭湯

2014年06月06日 16時42分02秒 | 日記
2週間ぶりに日本に帰って来て、ようやく湯船に浸かれると思ったら。。。
お風呂壊れました。
湯船にぽっかり穴があいて。

今日は資料とレシピ、朝の5時半から頑張って、夕方4時に出来上がり、メールで送りました。

で、銭湯にやって来ましたよ。
わが町には、もう2軒しかありません。


煙突が遠くから見えます。


入り口もいいでしょ。

中は。

銭湯育ちのワタシ。
昔のまんまの様子に嬉しくなります。


誰もお客様がいないので、撮らせてもらいました。


そして、お風呂上がりに、カルピスウォーターを飲んでますのよ。

あー、気持ちいい。

雨はすごく降っていますが。

もうすぐお迎えが来てくれます。

帰宅途中から、銭湯への思いがふつふつと湧いてきました。
なので、追加で。

この銭湯は、創業して60年はたつらしいです。
番台のおかみさんと話ていたら、多分、自分が生きてきた年数とほぼ同じ。
「嫁いできたときは、12軒あったのが、今は2軒」ということです。
我が家の近くにも銭湯があって、ときたま行ったのですが、数年前に廃業してしまいました。

貧乏な家に育ったので、家風呂はなく、銭湯通いでした。
今日もそうだったけど、湯温が高い。殺菌のための規則があるのだ思いますが、43度は
あるのです。
子どもの頃は、熱くて熱くて。
でも、回りに迷惑をかけるのは御法度で、水で薄めることはできませんでした。
それにしても、熱いわ。

小学2年生くらいまでは、混浴できるので、父に連れられ男湯に入ることも。
同級生の男子がいて、とてもいやでした。

お湯は浅いのと深いのと2つあって、今日の銭湯も昔通りの作りでした。
深い方は、薬湯といって、なにがしの薬草を漬けて、色が濃く、底は見えないのです。
深度は、1メートルくらいで、子どものときは、怖かったな。
幼児がいなくなって、皆で探したら、深いほうの薬湯の底に沈んでいたこともあった。
小学校に入る前の悲しい思い出。

昔の銭湯はいつも混んでいて、ひとつのカラン(蛇口)も、助け合って複数人で使っていた。

赤ちゃんは、お母さんがお湯に入っているときは、湯女がいて、世話をしてくれていました。
赤ちゃん用の台があって、思い出しました。
お母さんがお風呂で洗った赤ちゃんを預けると、体をふいて、着物を着せてくれていました。

個人の場ではなく、みんなで一緒のきまりを習ったのが銭湯でした。
知らない人が背中を流してくれたり。

豊かでない分、助け合って生きてきたんだな。
そんなことや、もっと色々思った、お湯屋体験。

下町の大叔母たちは、家にお風呂があっても銭湯に行っていました。
「ゆうに行く」という風に言っていたな。
あるいは「湯う屋へ行く」だったか。
物質的に豊かではなかったけれど、学ぶことも多い時代。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする