メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび@東京国立近代美術館(2018.1.16)

2018-01-17 13:10:55 | アート&イベント
没後40年 熊谷守一 生きるよろこび@東京国立近代美術館(2018.1.16)
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
会期:2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水・祝)
開館時間:10:00-17:00 (金曜・土曜は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで 休館日:月曜(1/8、2/12は開館)、年末年始(12/28-1/1)、1/9(火)、2/13(火)

特設サイト

熊谷守一(ウィキ参照


【ブログ内関連記事】

熊谷守一美術館



チラシを見てからずっと観たいと思っていた展覧会をやっと観に行ってきたv
頭の中では国立新美術館の気でいて、竹橋に着いてからやっと違うと気づいた(名前が似てる!

かなり久しぶりでは?と今ブログ内検索したら2011年?! そんなに/驚

『パウル・クレー~おわらないアトリエ』@東京国立近代美術館

川沿いに水仙が咲いていた



「竹橋駅」に「たけばし」があるって、ロス・プリモスさんの歌う♪さらば~シリーズみたいw






【内容抜粋メモ】

思ったより収蔵点数が多くて、時代順、転換期ごとに部屋に分かれていて
行っても行ってもまだ次があり、普段の運動不足がたたって途中でふらふらに

お腹も減ってきて、スタッフさんに飲食できる場所がないか聞いたら
「あと1部屋で出口ですが、飲食できるのは、美術館の外にあるベンチだけです」

本来は再入場はダメだけれども、「スタッフに言えば、大丈夫だと思いますよ」と親切な対応/礼
でも、あと1部屋ならガマンしようと思って耐えた

外を出歩かなくなってから、こうした大きな展覧会も、ずっと立ったまま真剣に観ていると
腰が痛くなったり、とにかく辛い・・・
1部屋ごとに座るところがあったのがせめてもの救い

いったん入ったら、飲食禁止とか、トイレもない、休憩所もないんじゃ
美術観賞どころじゃなくなるものね


樺太調査隊に参加し、風景画のスケッチをしていた



風景画と裸婦像の多さが意外 力強い筆のタッチで、抽象的
晩年も裸婦像を描いているけれども、美術家にとって基本なのかな?

とても色調が暗いのは劣化のせいだけではないのかも
初期からキャンバスだけでなく、「板」に描いていたのはお金がなかったから?
素材的に気に入っていたから?


油彩画 「光と影」



なんとなく勝手なイメージでモリカズさんて仙人だから
学校で絵を習わずとも、最初から緻密な自然観察で描けたのでは?と思っていたけれども
最初はとてもダークな油彩画などを描いていたことが分かった

今では油が劣化して、もとの色が分からなくなっている
保存状態が悪かったのか? ここまで劣化することに皆も驚いていた
何が描かれているかより、ブキミに黒光りしている印象

この頃からこだわっていたのは「光と影」
時系列に観ていくと、あの特徴的な「単純化」「中間色」「赤いふちどりの線」にたどり着くまでには
もちろん試行錯誤もあり、その片鱗が過去作品の中にも垣間見れたり
「三原色」などの関係を科学者のように考えて描いていたことが分かった




「轢死」シリーズ
1903年 電車に飛び込み自殺して亡くなった女性の死体を見た衝撃が何度も繰り返し絵に出てくる
夏目漱石の書いた『三四郎』にも同じ事件ではないかと思われる記述があるとか/驚

「ヨコ」と「タテ」
モリカズさんは、ヨコに描いた女性をタテに描くことによって
まるで女性が生き返ったような錯覚に見えることにこだわる

それは後に、自身の子どもを2人亡くした時の構図にも表れる


楽譜
チェロ、バイオリンで遊んでいたことがあり、作曲もしていて
その楽譜も展示されていた/驚
楽譜が読めたら、どんな曲が分かるのに!


5人の子ども
この時代は珍しくないのだろうけど、やっぱり大家族だよなあ 奥さんは苦労したことだろう
次男の陽、長女の萬(21)を亡くした経験は大きかった

萬さんが「何も残さずこの世を去る」ことを不憫に思い、絵を描き始めたが
自分が絵に没頭していることに気づいてやめたと後に記録しているモリカズさん

経済的に厳しい時代もあったが、モリカズさんを支え続けたのは
木村定三さんという方で、今回、木村さんのコレクションからの展示も多かった
一度、この絵たちに魅了されたら、何を描いても欲しくなっちゃう気持ち分かる!


赤いふちどり線



風景画にも赤いふちどりの線を描くようになる
だんだんモリカズさんらしい絵になっていく過程が楽しい

色調も明るくなり、中間色が増え、色の対比にこだわっている
線がどんどん単純化されて、説明がないと何を描いたか分からないものもある



いろんな場所のタイトルがついていて、各地を旅して回っていたのだろうか?

海のシリーズは、美しい水の色、空の色と、手前の岩の色とのコントラストがイイ

「スケッチ」と絵画を並べてある作品も多く、ラフなものから、輪郭が整い、
色指定されていて、アニメの絵コンテのよう

昭和20年代には、もうモリカズさんの世界観
ヤギ、ウシなどの動物も可愛いくて笑ってしまう


筆づかい



のっぺりと塗っているようでいて、よく観ると、絵の対象によって
塗る向きを変えたり、細かく丁寧に塗られているのが分かった
大好きな猫シリーズも、毛並みを描くように筆運びがさまざまな向きに塗られていたし


動いているように見える効果





絵画の詳しいことは分からないけれども、色の組み合わせによって、
白が浮き立ち、水滴が動いているように見える効果を狙っているのだとか


海外の画家の影響
これも意外/驚 マティス「生きる喜び」の笛を吹いている少年、後ろ向きの裸婦像などを模していたり

(黒く囲った部分


アンドレ・ドラン(初耳)、ゴーギャンなどを模した作品もあるそう
裸婦像の髪の色はなぜ緑なんだろう?

「少女」(1963)の顔は、明るく、ハッキリとした線で、元気な娘 初期の暗さはまったくない


70代半ばで体を壊し、庭の動植物を描く 「中間色」「単純化」
体を壊してからの作品がよく知られて、人気って、人生分からないものだ

昼に庭を観察して、夜アトリエにこもって描いていたそうで
一見、なにげなく描いたように見えて、光と影、色の対比などへの強いこだわりは
晩年のほうが強かったのかもしれない

「蟻」(1970)の土色なんて、土そのもの!


同じモチーフで複数描く
トレペで板に転写していた?とか説明書きがあった

花の絵を観ていた奥さんが「こんな絵が家にあったら嬉しいなあって思う」て言っててほんとにそうだ
シンプルで見飽きない 永遠に癒される感じ


揮毫(毛筆で何か言葉や文章を書くこと
木村に求められて初めて揮毫を始めた

「心月輪」(1940)
自由に踊るような文字 そこにもモリカズさんの構図がちゃんとあるそう

「無」(1940)
長い掛け軸に1字「無」てステキ

木村氏はモリカズさんの「かなも素晴らしい 第三の芸術」と讃えたそう

墨で描いた絵もイイ ぼんやりと描いた猫とか


猫シリーズ(やっと!
「豊島区立熊谷守一美術館」の館長を務める次女・熊谷榧さんいわく

「家には野良猫、飼い猫とも分からない猫がつねにいて
 父は、猫が暮らしやすいように気を配っていた」


「眠り猫」(1959)は、猫アンモナイトみたい
動物ものはどれもなんとものどか

「木小屋」(1966)の家シリーズももっと観たかったな

「土塊(つちくれ)」(1965)では、ついに土そのものを描いていて斬新すぎ!

「夜の月」(1961)もイイ


最後は日輪シリーズ
こないだ読んだ絵本『はじまるよ』にまとめられた日輪が数点並べられてあった

熊谷守一 『はじまるよ』(福音館書店)

その上に著書からの引用文がこれまた良かった

『蒼蠅』より

“生きていたいと思いますね
 わたしってしみったれですから
 幾つになっても命は惜しいです
 命が惜しくなかったら見事だけれど
 残念だが惜しい”(1976)




***

いったん外に出て、ベンチに座って、朝行きがけに買ったおにぎりを食べたら落ち着いた


【2~4F 常設展 MOMAT コレクション】
たくさんの収蔵品の中から、年数回展示入れ替えをしているそう
気になる画家がいれば、オフィサイトで検索すれば収蔵品名リストが見られる

驚いたのは、禁止マーク付き以外は写真撮影許可だったこと

今回は戦争にまつわる絵画、熊谷さんつながりのテーマに沿った展示だった中
私の好きな岡本太郎さん草間彌生ちゃんの作品まであってビックリ

早速、気になった作品を写メって来ましたv

岡本太郎「夜明け」(かなり大きい!




草間彌生「冥界への道標」(1976)
布の詰め物、木、靴の組み合わせが斬新








ロバート・フランク










猫シリーズ


















(これは、混み合い過ぎでは・・・







【ミュージアムショップ】

外にもミュージアムショップがあり、熊谷さん関連もあったし
その他の美術書、ポストカードなどもある

美術館から出て少し歩いた所の「ラー・エ・ミクニ」はやたら高級レストランだし
ここのスタッフさんに、ここら辺で適当に休める喫茶店みたいなのはないか聞いたら
「地下鉄の竹橋駅まで戻って、朝日新聞社の地下街にスタバとかあります」とのこと
やっぱ駅まで戻らなきゃないのか


朝日新聞社のビルに入ってみたら1F入り口に、なにやら飛行機の記念碑があった







朝日新聞社主催の横山大観展覧会の宣伝があった




1、2Fにコンビニ、居酒屋、ドラッグストア、百均などが並んでいる
昔ながらの地下街のいなたい雰囲気で、この頃にはお腹も落ち着いていたから
そのままラッシュにひっかかる前に電車に乗った


<今日拾ったチラシ>



 

 

 




追。

美術館内でボールペンでメモっていると「鉛筆を使ってください」と言われるから
先日、わざわざ普段使わない鉛筆を1本だけ、近所の文具店で買ったのに
館内でバッグの中をいくら探しても見つからず

結局、スタッフさんに借りて済んだけれども、家に帰って、
バッグをひっくり返して探してみたら、なんと

内ポケットが破れていて、その中から出てくるわ、出てくるわ
エンピツも、ボールペンも、、、

一番驚いたのは、去年の真心ライブ以降すっかりどこかで落としたと思って
あらゆるJRやら、地下鉄やら、お店に電話して探しまくった
MP3プレイヤーまでゴロンと出てきた

こんなことってあるのね・・・
バッグとポケットの間の布?1枚の合間に全部入ってたってシャレにならない

いろいろ戻ってきて嬉しいんだか、なんだか、すごい複雑な気持ちになった
とりあえず、ポケットの穴は縫わないと


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天神崎を大切に!@ナショナル・トラスト

2018-01-17 12:31:19 | 日記
ナショナル・トラストで美しい日本をとりもどす

さかなクン「第35回ナショナル・トラスト全国大会」@池袋ビズ(2017.12.16)

上記の内容とかぶるけれども、改めて、頂いたパンフレットをもとにメモを載せました


【内容抜粋メモ】



田辺湾
天神崎のある「田辺湾」は、多種類の海洋生物が生息している世界的にも貴重なところです
「黒潮」の影響で、海洋生物の幼生が運ばれるからです

湾内には入り組んだ「枝湾」「暗礁」が複雑にあり、多様な生物の生息場所になっています

「冬の季節風」が黒潮で濃い外洋水を湾内に送り込むため
「造礁性サンゴ」が約60種類もあり、世界的にも異例の数です

潮が引いた時の「磯観察」では、約200種の生物が簡単に記録されます


「海岸林」
「海岸林」の腐葉土層から栄養素が補給され、
雨・台風などによる土砂の海への流入を防ぎ、生態系が安定に保たれています


●1974年 高級別荘地開発計画から守った「大切にする会」
田辺市民有志は、募金で別荘予定地を取得

団体名を「守る会」ではなく「大切にする会」にしたのは、守るには「敵」がいるから
この運動に敵がいてはいけません

みんなが理解者となり、協力して自然を大切にしたいという願いなのです


●2015年9月 吉野熊野国立公園が拡張指定



「天神崎自然環境保全地」

植樹活動、湿地の整備




周辺の清掃活動、海底清掃




●天神崎での自然観察



「海岸林」と岩礁の生物は、互いに深い関係にあります
子どもたちがこういう自然に触れて、遊び学ぶことは
自然環境を知る上で非常に大切です

(私も小学生の時「臨海学校」や「林間学校」などという名前で
 磯の生物を観察したり、キャンプ体験をしたりしたことを思い出す


森「日和山」、湿地、磯にすむいろんな生物
磯は広くて平らなため、安全な観察場所です
自然観察教室は、毎年、6月に実施しています



冬にはカスミサンショウウオが産卵

森、湿地、磯(潮間帯)にも、いろいろな生物がイキイキと生活しています


子どもふるさと絵画展
幼稚園児から中学生までを対象に、毎年1月に紀南文化会館(田辺市)で開催
大変人気が高く、会場には2日間で約1,500人の入場があります


●2011年12月 プロジェクト未来遺産登録
本会の活動は、日本ユネスコ協会連盟の「プロジェクト未来遺産」として登録されました


●天神崎のトラスト活動



・明治30年「魚つき保安林」漁師は昔から海岸の森を大事にしてきた

・海岸の森は、土が海へ流れるのを防ぐ

森の落ち葉が土壌生物により分解され→栄養塩類として海へ
→海藻・植物プランクトンの栄養となり→動物に食べられ、魚介類が繁殖する「食物連鎖」「生態系」


・各種の魚が陸近くで産卵→幼魚が沖合いに広がる

埋め立て等による単純な海岸線は、津波の影響にも関係する

・「環境教育」を進め、自然・生命の大切さを子どもたちに伝えたい


田辺湾(神島、畠島など



南方熊楠は神島を保全し、1935年、国指定天然記念物となった

『小学館版 学習まんが人物館 南方熊楠』

『猫楠 南方熊楠の生涯』水木しげる

南方熊楠 生誕150周年記念企画展 南方熊楠-100年早かった智の人-@国立科学博物館



「天神崎の自然を大切にする会」



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