メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

イオンレイクタウン@越谷(2015.12.30)

2015-12-30 23:55:55 | 町歩き
イオンレイクタウン@越谷

★写真は、噂で耳にした本屋のTSUTAYA

気に入ったモノは1つだけボロボロに使うクセがあるから、
ジムも美術館、図書館なども休みに入るこの時期に、
いろいろとまとめ買いしようと重い腰をあげて久々行ってきた。

年末年始はちょうどバーゲンで、どの店も50%OFFなどの赤い文字が並ぶ中、
気力・体力の限界が早いから、ずっとメモに書いておいた必要なモノから探したら、
最初の店でジムで履くスウェットパンツを発見v
同じ店で、今使ってるのと似たリュックも見つけて、2大買い物が安く済んでラッキーv

ほかは、見つかったら買うくらいの気持ちで歩き回ったけど、ほんっと広い
帰って「デイリーステップ」で確認してみたら、7,704歩!
でも、消費カロリーはゼロ
買い物で歩くのはウォーキングと違って、有酸素運動でもなんでもなくて、とにかく疲れるだけなんだよね

途中、イートインのあるパン屋さんでキッシュとかぼちゃスープを注文して休んだほかは、
ほぼ歩き通して、気づけばもう夕方。

行きの電車は、1駅が長くて、揺れが激しく、トンネルもあるため、不安になったけど、
帰りは疲れて、録音したバンバンラジオを行き来で2週分楽しく聞きながらへとへとで家に着いた。

(年末恒例?の番組見直しでは、エロコーナーはそのままに、西川さんコーナーが消え去った
 福島さんは、毎回、スタジオでかける曲を決めてるのか/驚 ライヴでもそうだよね。だから同じ曲も多い
 まあ、リクエストを聞くと、定番が聴きたい人が多いっていうのも事実なんだけど。
 私は飽きっぽいのと、これまでのアルバムにたくさん素晴らしい曲があるのをもっと生で聴きたいのと、
 福島さん&黒川さんの脳内ライブラリーにはさらに多くの曲が入ってるから、そのカバーとかなんでも歌って欲しい



今のジムに通う決まっている期間は、5月まで。その後、継続するかどうか迷っている。
反対方角の同じくらいの所に区立の体育館があって、そっちも見学してみようかと検討中。
その前にHPを見ながら、電話で詳細を聞いてみた

見学はいつでも無料。
月額のセット料金もあるが、1回ごとでも良い(これが魅力。土日も同じ安い料金だし
当日券は、いったん外に出てしまうと、もう一度払わなければならないので注意。
スタジオは第1、第2があり、ヨガなどのプログラムがいろいろある。
プールがある。プログラムもある。
スタッフが常勤していて、マシンの使い方も教えてくれる。

見た感じ、今のジムと似てるように感じるけど、この体育館から今のジムに移ってきた人も多い
理由は、ジムよりは狭い、マシンやプログラムがジムより少ないなど。

とにかく一度見学に行ってみよう。自分で見てみないと分からないし。
その時、プログラムの用紙をもらえるそう(HPからプリントアウトもできるけど

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大河ドラマ『花燃ゆ』 最終回「いざ、鹿鳴館へ」

2015-12-30 19:10:15 | ドラマ
大河ドラマ『花燃ゆ』
脚本:大島里美、宮村優子
出演:井上真央、大沢たかお、三田佳子、江守徹、鈴木杏、田中麗奈、原田泰造、檀ふみ ほか


最終回「いざ、鹿鳴館へ」あらすじ(ネタバレあり

毛利元徳は、楫取と美和を鹿鳴館に招待。かつての塾仲間、伊藤博文らと再会する。


安子は取り巻きと話して退屈していたところに美和が来て、喜んで紹介する。
 
最終回でふせえりさんが!

「皆様方と群馬の女たちは思わぬところでつながっとるんです。
 今お召しのドレスは群馬の女たちが紡いだ生糸でできとるかもしれん」

群馬の生糸がフランスやイギリスに輸出されていることを信じずに笑う華族の婦人ら。
そこに津田梅子が現れ、流暢な英語で近くの外国人に聞くと、「その通りだ」と言う。



「母親の教育にも力を入れていて、英語も取り入れるつもりだ」と話すと、
「なぜ下々の母親まで学ばないといけないのです?」とまったく理解されない。

梅子「女性の教育こそ、日本のこれからの大きな課題です」

美和「その学びこそ、生きる力となるのです。誰でも生まれて初めての教育は母から受けるのですから。
   この国の未来がかかっとるんです!」

(いまだに母親の教育は十分じゃないな。日本も海外も。

楫取は、前橋までの鉄道建設費用に寄付してくれと頼むが、出し惜しむ夫を説得する妻たち。
「またやったな」(女性のほうが先見の眼があって、考えが柔軟なんだ



安子が前日教えたダンスを、楫取と踊る美和。
張り切りすぎたため、翌日は、風邪で寝込んでしまう。


そこに、群馬の就学率が全国1位になったというニュースが入る。
鉄道の敷設も決定し、皆が沸く中、楫取だけは考えがあった。




「一等工女」となって地元に戻るという塾生の3人。
鉄道は、上野→熊谷→前橋への工事が始まり、「迎賓館」の完成も間近に迫る。





楫取は、美和に
「県令を辞めようと思う。群馬での仕事は終わった。あとはこの土地の人間でやっていくのがいい。
 お前の考えが聞きたい。考えてみてくれ」

美和は、せいに相談する。
「本当は迷うとるんです。この場は姉との約束でもある。皆さんにも申し訳ない」

せいは、別れを惜しむ心をグッと抑えて、

「みんな自分で考えて、行動できるようになったんだよ。
 県令さまは、美和さんに託された。責任重大だ。
 あんたは、どこに行ったって、あんただよ!」





美和は楫取に学びの場に植えた花の種を見せて

学びの花の種。どうか1粒のモミとして、次の春の種となれますよう。
 次はどげな場所に植えるんか、楽しみです。
 旦那様と一緒にこの種を新しい場所に植えたいと思います。世話ぁない」

「これまでの1つの命もムダにせぬよう、仲間の命が私を生かしてくれた。
 じゃから、これからも信じて託し、想いをつなげていかねばならん」

楫取は、明治政府に辞表を出す。



塾の学生も、役所の人々も騒ぎ出すが、阿久沢とせいの説得のお陰で、2人は萩に帰ることを決断する。
「臨江閣」(迎賓館)に招かれ、行ってみると、皆が送別会を用意してくれていた。

船津は、東京で新しい農業について教える予定。
船津は美和に「あんたがつなげてくれたんだ」と礼を言う。

阿久沢が涙ながらに謝辞を述べて、最後に楫取にひと言欲しいと頼む。
楫取は、美和にも前へ出てきてもらう。

「私たちは、この群馬で教わりました。みなさんの未来を想う力が、この国を新しく作っていくのだと」

 
工女たちは、シルクの布に、教えてもらった字で寄せ書きを書いて、美和に渡す



 
(汽車に乗るところとか、やっぱり朝ドラと連動してる

せい「馬車でやってきて、汽車で帰るんだね。2人で次の新しい人生に行ぐんだねえ」

 





汽車の中で、楫取は美和に箱を渡す。そこには「涙袖帖(るいしゅうちょう)」と書かれた巻物が3本。
それは、久坂からの手紙を綺麗に装丁したものだった。

楫取「大事にすればええ」

 

 
母・滝は、また2人のためにお風呂を沸かす

 





2人は山口県防府市に居を構え、幼稚園の創設を支援した。
 

 


後に楫取は、明治天皇の第十皇女・貞宮の教育係に任じられ、夫婦で務めたが、
貞宮は幼くして亡くなり、遺品は防府天満宮に収められた。

 

 

 
貞宮御殿での楫取と美和子/楫取と美和の墓は、防府にある


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富岡製糸場 世界遺産へ~世界を魅了した少女たちのシルク~@歴史秘話ヒストリア

2015-12-30 18:38:22 | テレビ・動画配信
富岡製糸場 世界遺産へ~世界を魅了した少女たちのシルク~@歴史秘話ヒストリア

明治5年、総費用600億円(今のお金に換算すると)をかけて完成した。
 

 

 
「日本のシルクは世界最高。贅沢なことですけど、まず軽い、しなやかさがある、何を作っても優雅さがある」


●工場見学

[東繭倉庫]
 
全長100m、煉瓦10万個を使った東繭倉庫

[集められたのは瓦職人]
当時はレンガ職人が少なく、試行錯誤して石を混ぜることで丈夫なレンガをつくった。


 
職人はそれぞれの屋号を入れた


[東繭倉庫2階]
村の森から木材を伐ろうとしたら、森の神様の天狗が怒ると反対した村人に「国の発展のため」と説得して木材を調達した。

 




[繰糸場]

300人の工女がここで働いた


[ブリュナ館]
フランス人技師を高待遇で呼んで指導させた。



[人気スポット~実演]



生糸ができるまで
繭をお湯でほぐして、5本束ねて1本の糸にする。
 

ポイントは、糸がなくなる瞬間に別の繭をつぎ足す絶妙なタイミング。
 




創業当時、工女を希望する少女は1人も集まらなかった
西洋人の飲むワインが「生き血」だと勘違いしたため。
 

初代場長・尾高惇忠は、知人を1軒1軒訪ねて頼んで回ったがダメだったため、
娘の尾高ゆう(14歳)に頼むと、快諾し、第一号の工女となる。
ゆうが始めたことで、噂は消え、各地から大勢の少女が面接に来るようになった。

当時188人の少女が集まった



一等工女は、錦絵に描かれるほど憧れの存在
 
たすきと高草履がステイタスのシンボル


長野から来た横田英が日記に克明に記録した工女の日常
明治6年、15歳で富岡製糸場に来た英。
 

[女性が働く環境は先進的だった]
 

・労働時間は8時間未満
・毎週日曜日は休み。夏と冬には10日間の休みがあった。
1日4束の糸がとれるようになれば一等工女になれる。

※これは、後に書かれた『女工哀史』とはまったく異なる環境だった。


[工女たちの日曜日の過ごし方]
少女たちの興味は、やはりファッション。月払いで着物を買って、オシャレして出かけるのが楽しみだった。


進んだ働き方、最新の機械に驚き、英も一等工女目指すが、最初は見習いから。


しかし、山口から来た少女たちは、最初から糸とりを許された。元は長州藩。新政府内で大きな力を持っていたため。


英は「えこひいきだ」と上司に詰め寄り、女性が発言することが珍しかった時代、上司は驚いたという。
その5日後、英も糸とりを許されるが、その難しさは想像以上で、夜中も特訓した末、
8ヶ月目でやと1日4束の糸がとれるようになり、憧れの一等工女に昇格する。

 


●輸出は右肩上がり
一等工女になった少女たちは、地元に戻り、日本各地に造られた製糸場で技術指導にあたった。

クリーブランドにある博物館には、当時の日本の生糸で作られたドレスが残されている。
 

 

明治42年、日本は世界一のシルク輸出国となる。


●ストッキングの大流行
 

背景には、アメリカで女性の社会進出が進み、短いスカートにストッキングを履くのが流行った。
日本製は、安くて丈夫、薄い生地で、脚を美しく見せると大評判。


今見ると80デニールぐらいに厚そうだけど


●氷川丸の「シルクルーム」
 
昭和はじめには、シルク運搬専用の部屋が3つもあった

ほかの部屋の壁は鉄板だったが、シルクの部屋は板張り。
 
「湿気を防いだり、熱をこの木で抑えている」


太平洋戦争勃発、戦時中の工女たち
明治の末、経営が民間に移った後も生産は増加。
昭和16年、アメリカは日本への石油の輸出を止めて経済を封鎖した。
機械には石油が必要なため、燃料不足で機械が止まる日が増え、代わりに薪拾いをさせられたりした。
太平洋戦争が勃発、最大の輸出国であるアメリカ向けの生産は“敵国”であるため完全に止まる。


パラシュートをつくる
女工が集められ「今日から落下傘に使う絹糸を作ってもらう」と言われて困惑する(美しかったろうね・・・
 

当時のパラシュートが残されている。直径11m。「絹は武器」と言われた。
 
強度を増すため、通常の3倍の太さの糸を使用


[戦時中、富岡製糸場で働いていたミツノさん]
 
「私たちは、国のために軍隊には行けないから」

工場内で軍事訓練が行われるようになった。



[戦時中、製糸場の近所に住んでいた誠さん]


「ここには着剣と銃が置いてあった。背嚢(はいのう。軍人のリュックサック)もしまってあった。
 でも、ここにあることは隠密。子どもたちも喋ることはなかった」


昭和19年の末、戦火は富岡にも

ミツノさん:
「なんでアメリカから日本にB29が来て、爆弾を落とすんだろう。日本が勝っているのにおかしいな、勝つと思っていたから」

 

 


ワイン倉庫なら爆弾が落ちても大丈夫だといって、後輩の女工を連れて隠れた

ミツノさん:
B29の音は本当に覚えています。“ウウウォオオオオーーーー!!”てトラックが来るような音。
 爆弾落としたらダメになっちゃうって話は聞いてるけど、怖いけど、怖がったってどうにもならない」



終戦。製糸場は無傷のまま残った。


●その後、パラシュートは民間人に配給された
 
終戦の年、13歳の黒柳さんは、絹のパラシュートを配給品として受け取った

「そのころは木綿も下着もろくなのが無くて、とてもいいブラウスを母が作ってくれて、本当に嬉しかったし、誇らしかった。
 東京に帰ってきても、パフスリーブのブラウスはまだ長いこと着てました」
 



●時代とともに絹産業は衰退し、昭和62年、115年の歴史に幕を閉じた

 

その後、“売らない”“貸さない”“壊さない”をモットーに、
製糸場を20年間保存したのは、所有する民間企業だった。
年間1億円をかけて維持しつづけ、その後富岡市に引き継がれた。


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