花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

奥尻島に行って来た (1)

2009年06月22日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
20~21日、1泊2日のバスツアーで奥尻島に行った。
8時に曇り空の札幌駅を出発したバスは、途中、中山峠、洞爺湖サイロ展望台、長万部で休憩、昼食をとりながら、5時間半かかってやっと13時35分に道南・瀬棚町のフェリーターミナルに到着した。
写真①曇っていたが、休憩した洞爺湖を望むサイロ展望台からは美しい洞爺湖とその向こうに昭和新山がはっきり見えた。右は活火山・有珠山。 
②フェリーターミナルの壁に、瀬棚町で開業したという日本初の女医、「荻野吟子の写真」があった。
③瀬棚~奥尻島間18kmの海を1時間45分で結ぶフェリー。2等船室乗船料は、大人1960円。
私は5時に起きた疲れのためか、乗船後まもなく寝てしまった。

 ① ② ③

奥尻島は、平成5年7月12日に起きた北海道南西沖地震により大被害を受けた島として有名である。総数で198名が死亡、行方不明になった。
上陸後、バスで最初に訪れた「賽の川原」(道南5大霊場の1つで、海南犠牲者と子どもを慰霊するところ)には、④震災の慰霊碑があったが、⑤横に個人が建てた震災の慰霊碑もあった。

 ④ ⑤ 

翌日訪れた島の最南端・青苗地区は、南西沖地震の被害が最も大きかった所だ。ガイドの話では、津波が来た後で起きた火災は、それぞれの家の外にあった灯油タンクのために被害が大きくとなったのだという。
そこには災害の記録を収蔵する「奥尻島つなみ館」が建てられていた。
また傍には⑥「時空翔」と名づけた御影石の巨大な慰霊碑が海を背景に作られていて、⑦その隣に天皇陛下が新春の歌会で詠んだ歌、「壊れたる建物の散る島の浜 物焼く煙立ちて悲しき」の歌碑が建てられていた。

 ⑥ ⑦

⑧バスの車窓から写した地震の地盤沈下によって沈んでしまった道路の波除けトンネルに鵜が止まっていた。現在は海岸よりかなり高い位置に新道が作られていて、私たちのバスもその新道を通行した。
また、青苗地区の市街地は、海岸から離れた高地に作り直されていて、どの家も真新しかった。
被害があった小学校は、新しく高床式に作り直され、津波が来ても人災が少ないようになっていた。

 ⑧

海産物店のおじさんが、「妻は被災して死んでしまい、2人の息子は札幌で家庭を持っているので寂しい。今の奥尻島は、農業、漁業以外は働く場がないので、若い人は皆島から出て行ってしまう。」と話してくれたのが印象的だった。




コメント
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