6日目、7;50、コルティナ・ダンベッツォのホテル玄関前の気温は、0.5℃しかなかった。標高が1224mもある町の晩秋の寒さを感じた。
8;30にバスで176kmを3時間で南下して、ベネツィアの西隣の町、パトヴァに行った。
パドヴァは、人口20万人。90%がイタリア人だが、出身がアフリカ系の人1%、東アジア系の人1%いるという。
紀元前1183年に作られたという歴史の古い町で、ローマ時代には馬の飼育と羊毛生産が盛んだったらしい。
世界的にパドヴァを有名にしたのは、1222年に創立したパドヴァ大学だ。
世界最古の植物園が大学に開設されたこと(この植物園が世界文化遺産にしていされた)、またこの大学でコペルニクスが学び、ダンテやガリレオ・ガリレイが教師だったこと、解剖学教室が世界最古に置かれた事などがその理由である。
バスを降りてサント広場に向かう途中、大きな堀の両側に並んでいた沢山の彫像が印象的だった。①
サント広場に置かれたガッタメラータ像は、騎馬像としてはかなり有名らしい。②
その傍のサンタントニオ聖堂は、聖アントニオに捧げられた教会で、屋根にドームの数が多く、古くから信者の巡礼が後を絶たない所だという。③
① ②
③
何よりもパトヴァで必見なのは、ジョットのフレスコ画が壁一面に描かれているスクロヴェーニ礼拝堂だ。入場券は日本から予約することもできる。
添乗員氏が私立博物館でチケットを買っている間に、私たちは手荷物を預けた。そして直ぐ近くの礼拝堂に行ったが、しばらく外で待たされた。
内部は撮影が禁じられていた。
この小さな礼拝堂は、1300年に貸金業をしていたエンリコ・スクロヴェーニが敷地内に建て、ジョットにフレスコ画を依頼したものだ。
ジョットは1304~1307年に39の聖母マリアとキリストの生涯のフレスコ画を内部の壁に上下2段に描いた。
1回25人が15分間だけ見学することができるので、私たちのグループは2つに分けられた。
若い係りの女性が着いて入り、「これで終わります。」と言って中の人を出す。
その間、VTRを見ていた次の25人が代わりに入って見学するという具合に、徹底して礼拝堂への入場が管理されていた。
僅かな見学時間だったが、ここに来た人誰もがその絵を見るとキリスト教が分かるようになっていた。
最後の審判の絵もあったが、彼の独特な顔の描き方に人物の感情が溢れているようだった。
礼拝堂を出て荷物を受け取り、全員が見終わるまで待ってから、町を散策した。
列柱が並ぶ商店街で偽物のブランド品を地べたに並べて売っているアフリカ系の人がいた。④
添乗員氏は「警察が来たら、布の四隅を持って直ぐに逃げられるようにしている。」と、話していた。
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午後4時にパドヴァから南方77kmにある町、フェッラーラに向かった。
フェッラーラはルネッサンスの頃、エステ家が治めていた町で、今でもエステ家の居城・エステンセ城が保存されている。
その城は今、市庁舎として使われているとの事だ。⑤
エステンセ城前の広場にジローラモ・サボナローラの厳しい顔をした像が置かれていた。⑥
彼はこの町に生まれたドミニコ会の修道士だったが、1490年、貧富の差がもたらす社会の不公正を批判し、ローマ教皇と対立。1497年ローマ教会から破門され、98年焚刑に処せられた人だ。一時、フィレンツェ共和国で神聖政治を行った人物でもあるという。
その後、フェッラーラの守護神サン・ジョルジョを祀るドゥオモ⑦に行った。写真はロマネスク様式の入口扉の上の美しい聖母子像である。
夕刻、バスで48km南にあるボローニャに向かった。
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