花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

原子力発電について改めて考える

2011年03月14日 | 医療・健康・食生活・衣生活
何時の間にこんなに多くの原子力発電所が、地震国日本のあちこちにできてしまっていたのだろうか。

今思えば、原子力発電所を日本に建設するかどうかについて賛否両論がぶつかっていた頃、私自身は反対論者だった。
まず安全性に対して絶対という事はないと思っていたし、もし、事故が起きれば大惨事を招くと思ったからだ。
それと発電に使用した使用済み核燃料を安全に処理することが極めて難しく、その処理を遠いフランスに頼らざるを得ないと言われていた。
当然、それには多額の費用がかかり、決して安い電力供給にはつながらないばかりか、もし船で運ぶ途中の洋上で何か突発的な事故が起これば、これも大変な問題を世界中に与えかねないと思ったからだった。
しかし、当時の政府と電力会社は、1部の国民の不安に対して、「日本では、決してチェルノブィリの様な事故を起こさないように、きちんと安全に管理する技術があるから大丈夫だ」として、原子力発電所を作ってしまったのだ。

今回の異常事態の発生は、私だけではなく、多くの国民が予想していたと思う。
実際に今回、異常事態が起きて見て、初めて、人間の技術では原子力発電を簡単には制御できるものではないという事が分かったのである。
政府や東電は、「今回は想定外の地震が起きたから」と言い訳するのだろうが、放射線が漏れた場合の人体に与える大きな影響を考えると、そんな言い逃れを決して許してはいけない。
ただ、今まで国民があまり詳しく知らされていなかった原発の構造や制御方法を、図らずも今回の事故により、初めて国民が情報として共有する事になった点は、遅過ぎたとはいえ良かったと思う。

今日は、福島第一原発の1号炉に続いて3号炉でも水蒸気爆発が起こり、建屋が破壊され、11人の怪我人が出たと報じられている。
そして今、2号炉の他、第二原発の複数の炉も問題となって来ているのだ。
もしこの先、原子炉に決定的な破壊が起きたら、どういう状況が生じるのだろうか。考えるだけでも恐ろしいが、私はそれを完全に否定することができない状況になって来ていると思っている。

現在、半径20km以内に住む人たちはその外側に避難させられているが、低用量の放射線の被曝を受けた人も出ているらしいし、何時まで不自由な生活を強要されるのかと不安に陥っているに違いない。中には地震と津波で怪我をしたり、体調を崩している被災者も多い筈だ。

昨夜は政府が旗を振って節電を訴えた。私は普段から節電生活をしているのでそれを続けるが、一体誰が今日の事態を引き起こしたのかを厳しく問われるべきだと思う。
日本にはもう原子力発電所はいらないのだと、改めてもう一度はっきりと私は意思表示したい。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする