花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

南米の世界遺産を巡る(12)

2012年04月27日 | 海外旅行「南アメリカ」ペルー・イグアスの滝(ブラジル側、アルゼンチン側)

≪天候に恵まれた絶景のマチュピチュ≫
旅行6日目はウルバンバのホテルを5時に出発し、まだ暗い内に「オリャンタイタンボ」駅に向かった。ウルバンバ川の流れに沿って聖なる谷をマチュピチュの近くの「アリエス・カリエンテス」駅まで列車に乗るためだ。
私達は上部がガラス張りになっていて景観を楽しめる『ビスタドーム』という電車に乗った。この電車では1時間15分乗る間にスナック菓子と飲み物のサービスがあった。
電車は狭い渓谷を快適に走ったが、雨交じりの天候だったので高山のマチュピチュの天気が心配だった。
「アリエス・カリエンテス」駅で列車を下り、つづら折りの狭く急な坂道「ハイラム・ビンガム・ロード」を30分ほど専用のバスに乗るのだ。雨が降っていたがバスはどんどん登って行く。窓外に雨に霞む渓谷とウルバンバ川が見えた。

     

やっと「マチュピチュ」に着いた。バスから下りると間もなくマチュピチュ遺跡の入り口に着いた。そこからはガイドに導かれるまま急な傾斜地を高台目指して登って行った。結構きつい坂で、私は息が切れた。
途中、インカ道があった。さらに階段を上に登って高台の「墓地跡」に行った。向こうに聳える「ワイナピチュ」山(意味は「若い峰」)にガスが掛かっていた。ガイドの説明を聞きながら「見張り小屋」近くに下りた頃、覆っていたガスが徐々に晴れたのだ。眼下には夢に見たマチュピチュが広がっていた。正に≪天空の城≫がそこにあった。私は夢中で写真を撮った。

         

クスコがスペイン軍の手に落ちてから、インカ軍は「ビルカバンバ」という町に籠って抵抗を続けたという。その町はどこにあるのか、探すアメリカの学者『ハイラム・ビンガム』が1911年7月24日、急斜面をよじ登った所に見つけたのがマチュピチュだった。クスコから114km離れた高地2430mにあり、下からは絶対に見る事ができない≪天空の城≫が発見されてから今年で101年目になる。

今までの研究では、マチュピチュはビンガムが探し求めた「ビルカバンバ」ではなく、それはまだ奥にある遺跡だと言われている。
では、マチュピチュは何のための町だったのか。諸説あるが、「太陽信仰」の拠点だったのではという説が強いらしい。
この町を作るには、大きく重い石を運び、それを削って組み合わせ、段々畑に入れる膨大な土を下から運ばねばならなかった。水は確保できたらしいが、大勢の人が暮らすのは無理だ。発見後、男性より女性の人骨が多く出た事から、巫女が多くいて、この場所を撤退する時に巫女たちを殺したのでは、という説がある。(高野潤著『マチュピチュー天空の聖殿』によると、ビンガムは都市の東側下部や見張り棟上部の洞などから173体人骨を見つけたが、そのうち150体が女性だったと書いている)

その後さらに石段を下りて市街地に入ると「石切り場」があった。一説にインカが統一するかなり前から造り始められていたのではというマチュピチュは、まだ未完成だったらしい。
そこから、「主神殿」「神聖な広場」と傍の「3つの窓の神殿」を見ながら有名な高さ1.8mの日時計「インティワタナ」の場所に行った。36cm突き出た角柱の対角線を冬至に太陽が通るという。つまり4つの角は東西南北を向いているのだ。(ガイドが磁石を置いて説明してくれた)

   

「ワイナピチュ」に最も近い場所が「パチャママの神殿」だ。
広場があってそこには「ワイナピチュ」に形が似た「聖なる岩」が建てられていて、岩から離れて立つと「ワイナピチュ」と岩が重なる様に置かれていた。またその裏側を少し下りた所に標高差250mの「ワイナピチュ」に登る登山口が見えた。かなり急峻な山だ。

  

少し下りて居住区を通り、儀式が行われていたらしい「コンドルの神殿」(コンドルの頭をデザインしたらしい石が置かれ、その背後には大きな石で羽ばたく羽根が表現されている)とその隣に「拷問の間」を見た。(前掲書によると、拷問は頭が反り返る様な体型で石に縛り付け、食料や水を数日間与えず、水音だけを聞かせたりするものだったらしい。)
それから急な階段を少し登って行くと「太陽の神殿」(上部がクスコのコリカンチャの土台を思い起こさせる神殿、下が墓場になっている)があった。
下部地域には小さな石を雑に積んだ「庶民の居住区」と思われる石組みがあった。
さらに市街地への入り口を出ると谷に沿って段々畑があった。畑の上にはマチュピチュの全体が見渡せる「見張り小屋」が建っている。

  

  

元の入り口に戻り、これで高低差が結構あるマチュピチュの外周を一回りしたのだ。私はもう一度マチュピチュを振り返って「さようなら!!マチュピチュ」と声にして別れを告げた。
心配した天候も回復し、本当に素晴らしい一日だった。まだまだ謎が一杯隠されているインカの都市「マチュピチュ」をこの目で見た感動は、一生忘れないと思った。

           

 また「マチュピチュ」からバスに乗って「アリエス・カリエンテス」(「温泉」の意)に戻り、『ビスタ・ドーム』列車に乗ってウルバンバ川の流れる渓谷を走り、ウルバンバ村のホテルに戻った。途中雨が降り出した。私達には何と幸運だった事か。

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コメント (4)
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