花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

南米の世界遺産を巡る(13)

2012年04月29日 | 海外旅行「南アメリカ」ペルー・イグアスの滝(ブラジル側、アルゼンチン側)

≪首都リマの市内観光後、ナスカへ≫

7日目も出発は早かった。6時過ぎにホテルを出て、真っ暗い中をバスでクスコに向かった。
クスコ発8:50のラン航空機で一旦リマに戻り、11時からバスでリマの市内観光をした。

前にも書いたが、リマはスペインのフランシスコ・ピサロがインカ帝国を征服後、1535年に海に近い乾燥した台地のリマを首都と決め、開発造成した町だ。現在はペルーの人口の1/3、820万人が生活する大都市で、旧市街にはスペイン風の建物が立ち並んでいる。
ピサロが計画した「アルマス(マヨール)広場」を囲むように壮大な「カテドラル」写真①と「大統領邸(ペルー政庁)」②がある。
「カテドラル」はピサロが1535年1月18日に自ら礎石を置いて着工したものだ。その6年後、仲間に殺されたピサロの遺体が納められているという。
「大統領邸」はピサロの私邸として建てられた建物を1938年から政庁として使っていると聞き、ピサロの当時の金権力に驚いたし、建築資金はインカから奪い取った金銀財宝だったことを考えると、こうしてペルーの国内に今も使われる形で残された事は良かった訳だ。(スペインに持ち出された大量の金銀は、当時のスペインをインフレにしたらしい)
また「大統領邸」前で毎日12時に閲兵の交代式があるのを、大勢の市民や観光客が見学していた。

 ① ②

          

広場の「大統領邸」の近くにはスペイン風の外観をした「リマ市庁舎」③、別の面には美しい「サンフランシスコ教会」④が建っていた。

 ③ ④

旧市街も新市街⑤もその賑わいはさすが大都会だと感じた。

その後ペルーの海鮮料理「セビーチェ」を食べる店で昼食を摂った。真ん中の茹でたマグロを囲んで黄色いさつま芋、ジャイアントコーン、揚げたピーナッツを盛り合わせたサラダに、エビやイカなどが入り、ターメリックで色づけした炊き込み飯が出た。なかなか美味しかったが、最後の紫色のデザートの材料が芋だと聞いて何となく食欲が無くなった。

 ⑤ 

         

昼食後、リマから「ナスカ」まで444kmを8時間かけ、バスは「パン・アメリカンハイウエー」をひたすら南下した。
このハイウエーは、カナダからブラジルまで続いているが、1923年の米州国際会議で初めて構想が出され、1940~50年代に各国の既存の道路を整備してネットワーク化したものだ。ペルーには余り鉄道が敷かれていない。
道路のすぐ右手に砂浜と太平洋が見える場所が続いた。左手は砂漠から直ぐにアンデスの高地が迫るのだ。
この辺りは滅多に雨が降らない乾燥地帯で、山から流れ着く水源も限られているらしく、緑があり、農業が行われていそうな地域はほんの少ししかなかった。(一か所、葡萄畑があった)
しかし、ある所から道路の両側には壁で囲んだだけで、屋根がなかったり、葦やナメコトタンを乗せただけの建物が累々と続いた。
ガイドは「これらは国の許可を得ないで勝手に土地を使っている不法建築物です。地面が砂漠なので、屋根が無い方が夜涼しいそうです。飲み水は国が所々に給水所を作って供給していますが、衛生状態が悪く問題になっています。」と説明していた。
世界的に格差社会が問題視される様になったが、ここには職にもつけないペルーの最貧層の人々が暮らしているのだと分かった。幸いに年間を通して気温が高いので、食べ物さえ手に入れば何とか生きて行けるのだろうが、ペルーの深刻な現実を見た。
(実はガイドがこちらを見て話している前で、スラムの写真を撮るのは憚れたので、こっそりと撮った)

    

※枠で囲まれている写真をクリックすると拡大します。

コメント (2)
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