≪ピサロに滅ぼされたインカ帝国の町、クスコ①≫
5日目はリマのホテルをスーツケースをバスに積んで4時半に出発して空港に向い、7:10発の国内線航空機でリマの東南東、約580km離れたクスコ空港迄飛んだ。
今回も窓側席だったので、窓外の景色を見る事ができた。遠くに白く輝く左の山は、多分アンデスの高峰「サルカンタイ」山6,271mだと思った。良く見るとかなり高地にまで整備した農地が作られていて驚いた。
クスコに近づくと眼下にインカの神「ピューマ」の形に造られたという町が見えて来た。
8:25に着陸したが、クスコの町が標高3399mの高地にあるため酸素が薄く、私は数歩歩く度に深呼吸をし、時々ペットボトルの水を飲みながらゆっくりと進んだ。(この後、高山病の症状らしきものが数人にみられたらしいが、私は何ともなかった)
世界遺産の町「クスコ」は山に囲まれたなだらかな斜面に作られたかってのインカ帝国の首都だ。現地ガイドは若い頃東京で暮らした事があるという男性だったが、1つ1つの説明を詳し過ぎる程丁寧にしてくれた。
ガイドブックによると、ペルーは日本の3.4倍の面積の国だが、今から3000年前に北部アンデス山岳のワラス付近に蛇やジャガーを神とする「チャビン文化」が発生、瞬く間に全土に広がったという。
その後11世紀末に中部アンデス地域にインカ族が出現して新しい文化を築き、15世紀末にはコロンビアからチリにまたがる4000kmにわたり大帝国を築き上げ、首都クスコを中心に繁栄していた。
今でも当時のまま残っていて使われているのが、帝国中に張り巡らされたインカ道だ。谷や山、川を越え、その場所の地盤の特徴に応じて基礎工事も頑丈に作られた石の道路である。当時、馬や車が無かったインカでは、これら全ての工事を人力でやったらしい。どれだけ多くの人々が道路工事に参加したか。多分膨大な人数だったと思われている。このインカ道を走る人間の通信を発達させ、クスコの王の命令は数日で国の隅々に行き渡ったという。
ところが1532年、スペイン人探検家フランシスコ・ピサロが少人数の兵を率いてクスコを攻め落とし、「コリチャンカ=太陽の神殿」から黄金を奪い、間もなく皇帝アタワルパを処刑した。これでインカ帝国は誕生から僅か数十年、インカ文明が広がり始めてから約三百年で姿を消した事になる。
その後、征服者ピサロは首都を海に近いリマに移して、新しい都市づくりをした。
しかし19世紀に入ると南米植民地の独立運動の高まりの中で、ペルーは1821年、サン・マルティン将軍率いる独立派が勝利して289年間のスペインの植民地から独立、ペルー共和国が誕生したのだ。
1990年には日系人アルベルト・フジモリが大統領になったり、1996年12月に起きたリマの日本大使館公邸事件は私たちの記憶に残っているのではないだろうか。
歴史的世界遺産の代表、「コリチャンカ=太陽の神殿(現在はサント・ドミンゴ教会)」は空港から緩く傾斜した広い道を1kmほど行った場所にあった。
その途中、インカ織りの布や手編みの帽子を売る女性が声を掛けて来た。歩道に置かれたベンチを前に靴磨きの人達が数人いた。ベンチで休んでいる人、赤ん坊にお乳を与えている女性もいた。教会下の広場で草刈りをしている一団もあった。
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