28日に伯母が暮らした「高専賃」の部屋を何とか片付けて、15時半に2人で部屋を出た。
一つ屋根の下で暮らしていた仲間達の数人が玄関先に集まってくれていて、カーネーションの花束やお菓子類などを伯母に渡して別れを惜しんでくれた。
花束も見送りも伯母にとっては滅多に無い事だったので、嬉しそうだった。丁度私がカメラを持っていたので、記念に皆と最後の写真を撮った。
その日は伯母と我が家までドライブし、車一杯の荷物を玄関に下ろして、伯母にはゆっくりと休んで貰った。
入れ歯を入れていない伯母のために、私もかなり疲れていたが夕食を用意した。
おかゆを炊き、ひき肉、玉葱、ピーマンを具にしたオムレツを作り、それに庭のレタス、青紫蘇を小さく刻んだサラダに、小さく切ったトマトを添えた。別に人参、大根、キューリのナマスを食べ易く小さく刻んで供した。
伯母は数日間、野菜を一緒に煮込んだ雑炊ばかり食べていたらしく、美味しいといって全部食べてくれた。
シャワーで汗を流してもらい、私のベッドに寝てもらった。
翌朝、「眠られた?」と聞くと、「ベッドが快適でぐっすり寝たよ。」という返事が帰って来たので安心した。
伯母が長いこと使っていたベッドは折りたたみ式の簡易ベッドだったので、スプリングが無く快適ではなかったらしい。昔の人なので、どの様なベッドが良いかなど考えたことも無かったと思うが、実際に寝比べて見て初めて分かったらしかった。
29日は私の市内にある新たな
「老健施設」に入所する日だが、早めに家を出て市役所に行き
「転入届け」「後期高齢者介護保険」などの手続きをした。
また、郵便局に行って
「住所変更手続き」を済ませた。これで伯母の住所は私の家になった。
それから途中にある私の農園に寄って畑の状態を見せてから「老健施設」に連れて行った。
施設の方たちは皆さん、「お待ちしていましたよ。」と笑顔で伯母を迎えてくれた。
建物は2列に並んだ3階建てで2箇所に繋ぎのホールが作られていて、そこで休憩や食事などをするのだった。
伯母は、申し込んであった
2階の1列目の個室に案内させられた。(ホールを挟んだ向こう側の1列には、2人部屋と4人部屋がある)
責任者のBさんが簡単な施設の概要を伯母の耳元で大きい声で説明してくれた。事前に出しておいた「生活と身体状況調査」の結果がスタッフ全員に共有されている事を感じて安心した。
朝、家で持参する衣類の全てに記名をしたが、靴下はどこに書けば良いのか分からなかった。聞くとつま先が良いと言われた。
間も無く私は、事務手続きのために1階の事務所前ホールに下りた。
昼食を終えた伯母に様子を聞くと、「女性用の場所で食べたけれど、誰も一言も口を利かなかったよ。」と言うので、「自分から名前を言って、宜しくお願いしますと言わなければね。」と話した。
2時からのおやつの時間に、私も伯母と一緒に行って様子を見たら、伯母は自分から名前を言っていた。隣の人が真っ先に伯母に「年は幾つなんですか?」と聞いた。伯母は「95歳です。」と答えていた。これで切っ掛けはできた様に思った。
今までも個室で暮らして来たので、直ぐに新しい施設に慣れると思う。何よりも
三食におやつまで毎日出るため、今までの様に自分で調理をしなくても良くなった事が伯母には一番良かった事だと思う。
週2回の入浴も部屋まで
ヘルパーが送迎し、入浴の介助もしてくれるというし、
医師、看護師やリハビリ専門スタッフが居て、医療面でも眼科を除き、一々外部に通院しなくて良くなった事も良い。
今までは往復に2時間弱要したので、月2~3回行くのが精一杯だったが、今度は私の家から車で
6分で行ける最高の場所なので、行きたいと思った時は直ぐに行けるし、畑にも近く、ついでに寄ることもできるから有難い。
洗濯物も私が全て引き受けたので、伯母には今までよりもずっと清潔な衣生活をして貰えるはずだ。
入所を済ませ、一件落着してやれやれだが、まだ「高専賃」の大型電化製品の処理とゴミ捨て、掃除などが残っているので、明日、もう一度、行って来る予定だ。
実は、この間の引越し作業で重い物を沢山運んだのと長時間の運転を重ねたからか、一昨日は腰痛で熟睡できなかった。昨日、薬局に行って「腰痛ベルト」を買って来た。今日は少し痛みが和らいでいる。
(左は「バニラ・ツイスト」手前の花の小さな黒点の正体は、潜り込んで花びらを食べている黄金虫である。今の時期はこの虫が大発生し、花びらの間で雌雄がランデブーを繰り広げているのである。私は見つけ次第捕まえて処分している。余りに多いので、何故黄金虫などと言う名を付けたのか腹立たしい。確かに成虫は黒光りしているが。
右は「ラバグルート」3本の茎からこんなに花が咲いた。花持ちが良いドイツの薔薇である)