≪最終日は首都「テヘラン」へ、そして帰国≫
①「アブヤーネ村」散策
「イスファハン」から「テヘラン」までは、北へ450kmもある。朝ホテルを出たバスは、途中で東に入り、小さな田舎の「アブヤーネ村」に寄った。
ガイド氏の説明では、この村には古くから小学校があり、教育が熱心に行われて来た。そのためか医者や政治家を多く輩出している事で有名だそうだ。言葉は独特な言語を使うようだ。
村は山の裾野にへばりつくように建てられていた。この地域の鉄分が多く含む土を固めた泥壁で作っているので、どの家もその壁土が酸化してピンク色で美しい。
バスを降りると間も無く小学校があった。道の下には山からの水が流れていた。
16歳だという少女達が、賑やかに傍を通った。口々に私達に写真を写してくれと言う。引率教師に撮影の許可を貰って写させて貰った。どの生徒の顔も溌剌としていて美しかった。
村の中に入って行くと、老人が干した林檎やイチジク、木の実のジャムなどを売っている。
女性は約束したように綺麗な花柄のスカーフを被っている。男性は幅広のズボンを着ている。これがこの村の民族衣装なのだとか。
ある高齢女性二人が干し果物を売っていたので、近づいてスカーフを見せてもらった。
私達が日本人だと知ると、二人とも、「このスカーフは、日本製だよ。」と縁に織られている字を見せた。確かに「made in Japan」と織り込まれていた。こんな所で日本に出会えたことは何という偶然の巡り合わせかと驚き、声を出して一緒に笑った。
ドアの左右に付けられた金具の形が違う。ガイド氏の説明では、男女で鳴らす金具が決められている。
男性の訪問者が鳴らす右の重い金具が出す音と、女性の訪問者が鳴らす左の軽い金具が出す音が違うので、家の中から音を聞いて、来訪者が男性か女性かを知るのだそうだ。イスラムの世界ならではだが、なかなか良く考えられていると思った。
②世界遺産「フィーン庭園」
「カシャーン」という町の郊外にこの庭園はある。アッパース一世の命で造成されたもので、ペルシャ式庭園として2011年に世界遺産に登録された。
庭園の横の建物には、かって「ガージャール朝」時代に活躍した宰相「アミーレ・キャビール」が処刑された場所があり、人形を使ってその時の様子を伝えていた。
16時半過ぎに全ての観光が終って、バスで一路「テヘラン」を目指した。
やがて夕日が落ちて夕闇が迫り、空の色が変わっていった。その空を見ながら「イラン」の旅行が無事に終れそうな事に感謝した。
「テヘラン空港」22;20発の「ドーハ」行きカタール航空に乗り、「ドーハ」で成田行きに乗り換え、10時間5分かかって予定通り17;55に帰国した。
座席の前にある液晶パネルで飛行ルートを見ると、「ドーハ」→「イスタンブール」→「北京」→「ソウル」→「成田」とほぼ同緯度の所を最短距離で飛行した。
中国の西部は真っ白い雪原だった。日本海上空は厚い雲に覆われていて下は見えない。この雲が日本に雨を降らせるのだと思った。
そして成田空港に近づくと、下に緑の大地が見えた。日本は素晴らしい国だと思った。
機内は往路とは異なり満席に近く窮屈だったが、疲れていたのでぐっすり寝られた。
私はその夜の内に「新千歳空港」に戻ることができ、久し振りに家のベッドでぐっすりと寝た。