≪ピサロに滅ぼされたインカ帝国の町、クスコ②≫
クスコに着いて直ぐに行った高台の上の「サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ)」を下から見上げながら、ガイドは「インカを滅ぼしたスペイン軍は、立派な石の土台だけ残して、その上の建物を破壊し、この教会を作りました。その後幾度かの大地震で教会の建物は破壊されましたが、インカの土台はびくともせずに残っています。」と説明した。続けて、土台の石は鉄分を多く含んでいるために黒くなっていること、剃刀の刃一枚も入らない程ぴったりと組み合わされている事を説明した。本当に石はしっかりと組み合わされていた。またガイドブックによると、壁には20cm幅の黄金の帯がかけられていたらしい。
それから「サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ)」に入った。コリとは黄金の事でカンチャとは居所を指す言葉だそうだ。
インカ時代には、広場を囲んで「月・太陽・稲妻・虹・星」などの部屋があり、壁には台形の棚状のへこみが作られ、金銀の像が飾られていたらしい。
土台の上に葺いた敷石と部屋を仕切る壁が数枚残っていた。壁には幾つか穴があり、まん中の穴は幾つもの部屋を貫通していた。換気口かも知れない。
庭に出て遠くを眺めると、山のかなり高い所まで家が沢山建っていた。
見学の後、ペルー料理とフォルクローレで有名なレストランで、「コンドルは飛んで行く」や「花車」といった今や世界中に広まったフォルクローレを聴きながらゆっくりと食事をした。
インカも広場を中心とした街づくりをした。その「アルマス広場」の周りには今、インカの宮殿があった場所には1650年の地震後に再建された「ラ・コンパニーア・ヘスス教会」(下左)が、またインカのビラコチャ神殿があった場所に1550年から100年の歳月を費やして建てられた「カテドラル」(中)の他、ホテルや旅行社、土産物店が並んでいる。フォルクローレの音楽CDやサンポーニャを演奏しながら楽器を売っている中年男性もいた。(彼らは「コンドル…」の曲を吹いていたが、余りにも音程が変なので私が歌を歌って上げたが、考えて見たら、彼らのがペルーの原曲だったのかも…)
※枠で囲まれている写真をクリックすると拡大します。
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インカ文明の優れた技術が受け継がれた建造物なのでしょうね。
当時はどんなにかきらびやかだったことでしょう。
ああ、「コンドルは飛んで行く」!!!
頭に思い浮かべながらお写真を眺めてみることにします!
インカ帝国時代は馬も車もなく、もっぱら人力で遠くから石を運び、加工したそうなので、驚異的な事ですね。
スペインに持ち帰った大量の金で、当時スペインはインフレが起きたそうですよ。
空気が薄い高地でサンポーニャを吹くって大変なことだと思いました。
あばたさんが写真を見てくれると思って続けますね。