≪ピサロに滅ぼされたインカ帝国の町、クスコ③≫
ガイドに従ってアルマス広場の「カテドラル」の横を通り小路に入ると、そこにはインカ道がそっくり残っていた。
その先の石壁の1つが有名な「12角の石」だった。12も角をつけて組み合わせた理由は、王の一族が12人だったとか、1年の歳月を表しているとか想像されているらしいが、確かに石工の熟練した技術力を今に伝えていた。別の壁には、14角の石もあるそうだ。
その後、バスに乗って北西の小高い丘の上の遺跡「サクサイワマン」を見に行った。巨石を3層に積み上げたインカの要塞跡で、3万人が80年をかけて造ったのだという。1536年5月に2万人の兵士と立て籠もったマンコ・インカがスペイン軍に敗れた所だ。(何でもインカ軍は、農繁期には家に戻り、夜は休むという習慣があって、その隙に攻め込まれたらしい)
少し離れた丘の斜面に造られた「ケンコー」遺跡に行った。そこは岩を削って造った祭礼の場だったという。皇帝が座った玉座や生贄の台もあった。
訪れる観光客は多くはないと思うそんな所の駐車場でも、数人の女性たちが手作りの帽子や人形、布などを売っていた。店を出して商品を並べている女性もいた。どこの国に行っても、庶民の女性たちは本当に働き者だと思った。
ふと木の間を覗くと眼下遠くにクスコの町の郊外が広がっていた。
クスコの観光を終えた後、ウルバンバ渓谷を下りて標高2870mのウルバンバの村のホテルに行く途中で、伝統的な農業をしているある農家を訪問した。
茹でた白い「ジャイアントトーモロコシ」を用意して私達を迎えてくれた奥さんは、インカ時代から続く姓に誇りを持っている人だった。
じゃが芋、トーモロコシ、ビート、豆などを栽培し、専用の飼育小屋で大きさがうさぎ位の「クイ」を数十匹育てていた。「クイ」は大事な日に食べるらしかった。アメリカがこのトウモロコシを加工食品用に買ってくれるようになってから生活が良くなったと言っていた。
写真の芋の傍にある白いものが「チューイ」だ。じゃが芋を乾燥させて作るインカの伝統的な保存食である事は知っていたが、私は初めて見た。
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インカは石の文化ですね。これらの技術は凄いな~。
食文化は質素なのでしょうか。体型を見てると過食気味に思えたりするんですけど(笑)
「チューイ」って戻すとマッシュポテトみたいになるのかしら?バターやマヨネーズで和えると美味しそうなんですけど、ココではどうやって食べるのですか?
私も、ソナタさんと旅を続けているつもりになって、一気に、初日からクスコに辿り着きました。
南米は、やはり、良い意味での「カルチャーショック」を感じます。
洗練された都会も大好きですが、自然の恩恵をつつましく生きる生活は、もっと身近に感じられて、ほっとします。
次はナスカでお会いしましよう。後半を首を長くして待っています。
領土の大半が標高3000~7000mのアンデス山系なので、トウモロコシ、じゃが芋が基本でたまにクイやリャマ、鶏の肉、少量の野菜という食事だったでしょう。トウモロコシからチチャという酒も造っていたようです。
チューイの料理法を農家で聞けば良かったです。残念。芋を乾燥させて水分が無くなったものなので、多分今の澱粉と同じでしょう。
伊豆の花さん、お早うございます♪♪
全く予想とは違った場所でした。観光ポイントが離れているので、時間的、体力的にきつかったです。自分でもよく行って来たなと思います。これでまた自信がつきました。(~_~;)
記事書き頑張りますので、また寄って下さい。