≪リスボンの世界遺産「べレンの塔」と「ジェロニモス修道院」≫
リスボン市内観光の日は朝から小雨が降り続いていた。
テージョ川の川岸にヴァスコ・ダ・ガマの世界一周を称えて、マヌエル一世の命で1520年に完成した四角い塔が立つ。それが灯台の機能を果たすと共に、聖母マリアに航海の安全を祈り、また、川を通る船を監視し、通関事務をするために建てられた「べレンの塔」だ。
雨が激しくなって来たので、塔の傍まで行かずに写真だけ撮影した。
その後、1km下流にある「発見のモニュメント」と「モザイクの世界地図」を見てから、500m程北側に建つ「ジェロニモス修道院」に行った。
ここもまたエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの絶大な功績をたたえ、マヌエル一世が建設を決め、1502年から100年間を掛けて、ブラジルなどから持ち帰った莫大な金を使って完成させたものである。
間口が300mもある巨大な建物は、写真に納まらなかったが、私達は南門から「サンタ・マリア教会」に入った。
(写真中央にある入り口が南門。その右側が教会となっている)
天井が高い大規模の教会の入り口、左側には、「ヴァスコ・ダ・ガマの石棺」が安置されていた。石棺の壁にインド航路を発見した時に乗った帆船が描かれていた。
また入り口の右側には彼の偉業を詩で謳いあげた詩人「ルイス・デ・カモンイスの石棺」もあった。
「ヴァスコ・ダ・ガマの石棺」が置いてある側の壁に、「懺悔室」の扉が5箇所造られていた。聖堂を出て反対側の廊下に出たら、神父が懺悔室に入る扉が並んでいた。
55m四方もある回廊の一部を通り、二階に上がった。入り口の丁度上に広い聖歌隊席が設けられていて、柱に隊員の方を向けて十字架に掛けられたキリスト像が掲げてあった。
ポルトガルの海洋交易、植民地化というかっての栄光を記憶に留めるための「ジェロニモス修道院」も、私には莫大な資財を贅沢に塗り込めたような建築物に見えたが、インド航路の開拓などでは、協力な武器大砲で相手国を脅して交易を迫るなどしたらしく、双方に死者も多く出したようだ。
インドから帰還した時、4隻の船は2隻になり、出航時150人弱いた船団員は1/3に減っていたらしい。
そして何よりも植民地から得た多くの富は、産業を興したり、国民の生活の向上には使われず、王室や貴族、一部の貢献者の私物にされたという。
従って当時、スペインと世界を二分するまでに世界に進出したポルトガルだったが、その後、国力が高まることは無かったという。私達は歴史から政治経済を学ぶ事ができそうだ。
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ガマさんは国の英雄、実際の王の扱いでしたね。