≪ルーマニアの首都「ブカレスト」から北上≫
26日に帰国した後、庭の草取りや低温で遅れていた畑の植え付け作業をしていて、旅行の報告が遅れてしまった。やっと号作業が一段落したので今日から取り掛かりたい。
先ず最初に行った国「ルーマニア」から始めたい。
「ルーマニア」の首都「ブカレスト」は、北海道の北とほぼ緯度が同じだが、四季がある大陸性気候の国で、5月17日に訪れたのだがその日は24度、27~30度ある日もあった。
ルーマニアの面積は237,500k㎡で、日本の本州に匹敵する広さの国だ。
民族はルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ人、トルコ人、ロマ人などで、宗教はルーマニア正教、ギリシャ正教、ローマカトリックなどだ。
国道沿いに屋根の形が珍しい協会があった。
首都の空港からバスで北に向かうと、直ぐに豊かな田園風景が広がった。5月の畑には菜の花が咲き、小麦が植えられていて、小麦は既に収穫を終え、その後に向日葵を植えつけてある畑もあった。畑にはビール用のホップも栽培され、果樹園では桃の花が咲いていた。
国道沿いの大半の家々の周りには大量の葡萄が栽培されていて、ニワトリが放し飼いにされていた。
国道や脇道では何台もの馬車も見掛けた。
路上販売の屋台をあちこちで見かけたが、苺、さくらんぼ、アプリコットなどを売っていた。蜂蜜を売っている屋台もあった。
さらに進むと丘陵地に草原が広がり、羊、山羊、牛が放牧されていた。山羊乳で作るチーズは、濃厚で保存性も優れ、ガイドは常温で1ヶ月持つと言っていた。
途中の草原で、水蒸気を出してパイプに通し、遠くまで運ぶ装置を見掛けた。
さらに北に行くと2000m級の山並みが連なる「カルパチア山脈」の深い森林地帯に入って行った。
途中の「シナイア」という町は冬のスキーのリゾート地らしく、ホテルが立ち並び、ゴンドラもあった。
バスで二つの国を移動中のトイレ休憩は、レストラン以外ではほとんどが「ガソリンスタンド」だった。
どの「ガソリンスタンド」もコンビニの様な造りになっていて、各種飲料、菓子類、パン類を売り、簡易な喫茶を併設していたが、残念な事にトイレは男性用1個、女性用1個しかなかった。今回のツアーは30人強の人数で、いつもの様に女性がその大半を占めていた。男性が済むと、男性用を女性も使わせて貰う等したが、いつも長い時間がかかった。
まだまだ大型バス1台で観光する観光客は、少ないのだろうと思った。因みに私達が日本人の他のツアーに会ったのは、最後のブルガリアの首都「ソフィア」でだった。
私達はさらに北へ進み、ブカレストから165kmの所にある最初の宿泊地「ブラショフ」の町を目指した。
26日に帰国した後、庭の草取りや低温で遅れていた畑の植え付け作業をしていて、旅行の報告が遅れてしまった。やっと号作業が一段落したので今日から取り掛かりたい。
先ず最初に行った国「ルーマニア」から始めたい。
「ルーマニア」の首都「ブカレスト」は、北海道の北とほぼ緯度が同じだが、四季がある大陸性気候の国で、5月17日に訪れたのだがその日は24度、27~30度ある日もあった。
ルーマニアの面積は237,500k㎡で、日本の本州に匹敵する広さの国だ。
民族はルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ人、トルコ人、ロマ人などで、宗教はルーマニア正教、ギリシャ正教、ローマカトリックなどだ。
国道沿いに屋根の形が珍しい協会があった。
首都の空港からバスで北に向かうと、直ぐに豊かな田園風景が広がった。5月の畑には菜の花が咲き、小麦が植えられていて、小麦は既に収穫を終え、その後に向日葵を植えつけてある畑もあった。畑にはビール用のホップも栽培され、果樹園では桃の花が咲いていた。
国道沿いの大半の家々の周りには大量の葡萄が栽培されていて、ニワトリが放し飼いにされていた。
国道や脇道では何台もの馬車も見掛けた。
路上販売の屋台をあちこちで見かけたが、苺、さくらんぼ、アプリコットなどを売っていた。蜂蜜を売っている屋台もあった。
さらに進むと丘陵地に草原が広がり、羊、山羊、牛が放牧されていた。山羊乳で作るチーズは、濃厚で保存性も優れ、ガイドは常温で1ヶ月持つと言っていた。
途中の草原で、水蒸気を出してパイプに通し、遠くまで運ぶ装置を見掛けた。
さらに北に行くと2000m級の山並みが連なる「カルパチア山脈」の深い森林地帯に入って行った。
途中の「シナイア」という町は冬のスキーのリゾート地らしく、ホテルが立ち並び、ゴンドラもあった。
バスで二つの国を移動中のトイレ休憩は、レストラン以外ではほとんどが「ガソリンスタンド」だった。
どの「ガソリンスタンド」もコンビニの様な造りになっていて、各種飲料、菓子類、パン類を売り、簡易な喫茶を併設していたが、残念な事にトイレは男性用1個、女性用1個しかなかった。今回のツアーは30人強の人数で、いつもの様に女性がその大半を占めていた。男性が済むと、男性用を女性も使わせて貰う等したが、いつも長い時間がかかった。
まだまだ大型バス1台で観光する観光客は、少ないのだろうと思った。因みに私達が日本人の他のツアーに会ったのは、最後のブルガリアの首都「ソフィア」でだった。
私達はさらに北へ進み、ブカレストから165kmの所にある最初の宿泊地「ブラショフ」の町を目指した。
コメント有難うございました。
観光客が少ない国なので、観光のインフラ整備がまだまだなんですが、これから変わって行くでしょうね。期待したいです。
民ちゃんさん、お早うございます♪
スリや泥棒の事などを添乗員に脅されていましたが、全く心配は無かったですよ。
美しい国でしたね。
日本人は居なかったですね。まだまだ認知されていないんでしょうが、逆に落ち着いていて良かったですよ。
中国とは怪しくなっているので、これから東欧に目が行くように思いますね。