今朝は晴天。そのために放射冷却現象が起きたのか、明け方の気温はー18℃だったらしい。8時半にはー13.5℃に上がっていたが、室内もかなり冷えた。
ニュースでは、今朝、北と南の気温は最高地点で50℃も差があったと言っていた。南では桜が咲いたらしい。
北海道電力からは、朝8時からの節電が要請されているが、我が家のような電気暖房の家では、節電すること自体にかなり難しい現実がある。
昨日は図書館が休みだったが、今日は3時間ほど行って、その間、家の電気は切ろうかな。
12日頃から少し暖かくなりそうなので期待したい。
昨日、伯母に電話をかけたら、私から食事が冷たくて美味しくないという伯母の苦情を伝えた後に改善されて、「大分美味しくなった。嬉しいよ。有難う。」と言われた。「それは良かったね。だけど本当は、良く知っている自分達で施設に言わなければ駄目なんだよ。」と話して置いた。
《カイロの市内観光》
7日目の午前中は、観光の最終時間だった。
泊まったギザのホテルはデラックスなリゾートホテルで、幾つもの棟に分かれているので初め自室を探すのに苦労した。
部屋、洗面所、浴室とも広く、設備も整っていたし、ホテル内で数軒のみやげ物店も営業していた。
入り口では荷物のX線検査もされ、安全に配慮していた。何よりもプールがある広い中庭の植栽が素晴らしかった。
朝8時半、バスでカイロに行き、最初にギザの三大ピラミッドの傍にある「香水店」に行った。私は香水のきつい匂いにアレルギーなので、店の外に出てぶらぶらしていた。
丁度現地ガイドとツアーポリスが駐車場にいたので、簡単な会話をした。ポリスは2人とも20代だという。立派な私服のスーツの下に銃を下げていた。
次に「エジプト考古学博物館」の見学に向かった。
数千年前の貴重な遺跡からの出土品や彫像の展示品の大半が、大きな建物の廊下や部屋に無造作に並べられていた。
写真撮影は禁じられていたので、ガイドの説明を聞きながら見て回った。
1番記憶に残っているのは、「ツタンカーメンの黄金のマスク」と「玉座」、王のミイラが入っていた入れ子細工式の4重もの「大きな棺の箱」「棺」とそれに描かれた極彩色の絵だった。
なおガイドブックによると、この建物は古くなったので、新たな「大エジプト博物館」をギザに建設中だという。総工費700億円の半分を日本のODAが出しているそうだ。
その後、車が多い市街を走って、「モハメドアリ・モスク」の概観を見に行った。
途中、高速道路の下にある有名な「タフリール広場」(写真の奥が広場)も見たが、屋台も人も沢山出ていて、高速の下には車も沢山駐車していた。この狭いごみごみした場所が「アラブの春」で拠点となった所なのかと思った。
また街中や運河の水面にはびっしりごみが散乱していて、その内町中がごみに埋まるのではないかとも思った。郊外では自然では分解しないビニール袋が散乱し、それを鳥や動物がつつく様には心が痛んだ。
バスが駅の傍にある駐車場に止まっていた時の事だ。大きい袋を担いで来た男性が、袋を逆さまにして中のごみを駐車場の隅に出すと何食わぬ顔で立ち去ったのを目撃した。間も無く野良猫が数匹現れて、餌を漁り出した。
夕刻、スーパーマーケット「シティスターズ」に連れて行ってもらい1時間買い物をした。
そこは巨大なスーパーで、門番が居て手荷物がチェックされ、中産階層以上の人しか中にはいれないらしかった。
私は小型の「ヘーゼルナッツ入りチョコレート」10個とミックススパイス3個を買った。
夕食後空港に行き、23;20発のエジプト航空機で成田まで帰った。帰りも運良く席を3つ取ることができ、11時間40分の飛行中大半を寝る事ができて幸せだった。
成田には19日18時に着いたので、旅行社が取ってくれたホテルに一泊し、20日、成田空港発10時の新千歳行きに乗って無事に帰宅した。
今回のエジプト旅行は、予想外の収穫が沢山あった旅行だった。やはり旅行は思いついた時がチャンスなので、ぐずぐずしないで実行するべきだと思った。
長くなったこの旅行記を読んでいただいた皆さんには、エジプトを前よりも身近に感じて貰えただろうか。
12月15日にクルーズ船のポストに投函した絵葉書が、まだ届いていない。既に3週間になるというのにどうしたのだろうか。 (完)
コメント有難うございました。
今の家は7年前に新築した「外断熱方式」の高気密住宅になっていますが、電気暖房を切って寝るので今朝当たりは居間が14℃に下がっていました。20~30年経った家は、断熱工法が今と違うので台所が凍りつくと言っています。それで夜中暖房は切れないそうです。
私は室温を20℃まで上げるのに、電気暖房を起床時から4時間程度入れています。
伯母は喜んでいたので良かったです。