市野々の畑で農作業をしていて夕方近くになると、遠くに見える民家の煙突から煙が立ち上る。
どうやら昔風に薪を使って風呂を沸かしているらしい。
「ああ 人は昔々 鳥だったのかもしれないね こんなにも こんなにも 空が恋しい」
これは加藤登紀子の「この空を飛べたら」の一節だが、残念ながら高所恐怖症の身には「空が恋しい」と
思ったことは一度もない。
しかし、煙突から出る煙を見るとたとえそれが他人様の煙突でも何故かホッとして癒されるものがある。
どうやら私は煙に対する憧れが強いようだ。
(時々仕事の手を休め母屋の薪ストーブの煙を眺めている)
煙や火への愛着は、昔々人間が火を使い始めた頃の記憶がDNAに刻み込まれているためではないかと
勝手に解釈している。
「高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈はにぎはひにけり」と詠んだ仁徳天皇も単に立ち上る煙に癒された
だけだったのかもしれない。
どうやら昔風に薪を使って風呂を沸かしているらしい。
「ああ 人は昔々 鳥だったのかもしれないね こんなにも こんなにも 空が恋しい」
これは加藤登紀子の「この空を飛べたら」の一節だが、残念ながら高所恐怖症の身には「空が恋しい」と
思ったことは一度もない。
しかし、煙突から出る煙を見るとたとえそれが他人様の煙突でも何故かホッとして癒されるものがある。
どうやら私は煙に対する憧れが強いようだ。
(時々仕事の手を休め母屋の薪ストーブの煙を眺めている)
煙や火への愛着は、昔々人間が火を使い始めた頃の記憶がDNAに刻み込まれているためではないかと
勝手に解釈している。
「高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈はにぎはひにけり」と詠んだ仁徳天皇も単に立ち上る煙に癒された
だけだったのかもしれない。