杉田水脈議員は、橋下徹によると「桜井よしこが杉田を気に入り、安倍晋三に推薦し、安倍も杉田を
気に入り出馬するに至った」とのこと。
昭恵夫人や稲田朋美も含めて、前首相の「女性観」には独特のものがあるように思えてならない。
杉田議員の謝罪や議員辞職を求める署名を「自民党は受け取らなかった」との今日のニュースを見て、
10月11日(日)の毎日新聞のコラム「時代の風」を思い出した。
筆者は「私は、性被害による傷の深さを理解していなかったことを思い知った。」と述懐している。
私も含め同様の感想を持つ読者諸氏も多いかと思われることから、その全文を転載する。
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(道端の野菊)
毎日新聞2020.10.11
「性暴力被害 社会の無理解、傷は深く」 梯久美子・ノンフィクション作家
今年の放送文化基金賞を受賞したテレビドキュメンタリーを見る機会があった。
未成年の性被害を取材した「なかったことに、したかった。」と、続編の「なかったことに、できない。」
(制作・日本テレビ放送網)である。
番組の中で、小学校の担任教師に被害を受けていた女性はこう言っていた。
「先生ってそういうものだと思っていました」
「抵抗や拒絶をしたら(相手が)どう変貌するかわからない怖さがあった」
教師の行為はエスカレートし、性交にまでおよんだ。自分が何をされたのかを彼女が理解したのは中学生に
なってからだ。
高校生になると、自傷行為が始まった。過食、リストカット、オーバードーズ(薬物の過剰摂取)……。
抜毛(自分の髪を抜く)がやめられず、10年近く髪の毛がなかったという。
子どもは自分がされていることの意味がわからず、抵抗も難しい。番組に登場した支援団体の弁護士によれば、
被害を自覚し、言葉にすることができるようになった時には、法的にはすでに時効になっていることが多いという。
たとえ時効が来ていなくても、加害者が否定すればどうすることもできない。被害者の証言がなかなか信用して
もらえない現実があるからだ。
先月、子どもへのわいせつ行為によって懲戒免職処分となった教員に免許を再び交付しないよう求める
約5万4000人分の署名が文部科学省に提出された。
2018年度に公立小中高校などで懲戒免職になった教員231人のうち、わいせつ行為などによるものは
163人で約7割を占める。
その多さに驚くが、被害者たちが語ったドキュメンタリーを見て、この数字は氷山の一角であると思った。
複数の女性が、誰にも言えなかった、あるいは言っても取り合ってもらえなかったと語っていた。
証言が信用してもらえないのは、被害者が子どもの場合だけではない。
「女性はいくらでもうそをつけますから」
杉田水脈衆院議員の発言である。
性暴力被害者のための支援センターについて内閣府から方針説明があった際の言葉だというから、勇気を出して
被害を申し出た人を、ほかならぬ支援の場で、疑ってかかれと言ったことになる。
政治家がこうした発言をするのは、同調する人が少なからずいるのを見越してのことだ。テレビ局の元記者による
レイプを告発したジャーナリストの伊藤詩織さんが、卑劣な嫌がらせとバッシングを受けたことからも、いかに
被害者が声をあげにくい社会であるかがわかる。
評論家の故・吉武輝子さんが、14歳のときに進駐軍の兵士から集団暴行を受けた体験をつづった手記を発表した
のは、1970年、39歳の時のことである。スキャンダルを売り物にしたと非難され、男性からのわいせつな電話
や手紙が数多く舞い込んだ。脅迫のような内容もあったという。
10年前、私は吉武さんにインタビューを申し込んだ。彼女が65歳の時の著書に「わたくしは真の回復者でも
なければ、生還者でもないのかもしれません」という一文を見つけ、衝撃を受けてのことだ。
吉武さんは男性中心の社会を堂々と告発し、女性運動の先頭に立ってきた。その彼女が、被害から半世紀たってなお、
完全には立ち直っていないというのだ。
私がお会いした時、吉武さんは78歳になっていたが、たとえば大声を出す男性が近くにいると、今も体が固まり
息がつまると言った。
つらい経験をプラスに変え、下の世代の女性に勇気を与えた強い女性として吉武さんを捉えていた私は、性被害に
よる傷の深さを理解していなかったことを思い知った。
「確かにあの出来事がなかったら今の私はなかったでしょう。あの経験があったからこそ社会に対して目を開かれた
部分があるし、強くなったかもしれない。でも、それでもやっぱり、ああいう経験はしたくなかった。するべきじゃ
なかった」 そう吉武さんは言った。
「傷も何もなくて、それでも深くものを考え、勇気をもって行動する、そんな女性でありたかった。あなたはそう
なってくださいね」
その2年後、吉武さんは亡くなられた。あの日受け取った言葉を、今あらためて思い返している。