午前中に伐採を済ませ午後はホダ木の搬出まで終える予定だったが、倒した木をホダ木サイズに切断するのに手間取ってしまった。
その間はオバサンが一人で運搬車を使って軽トラに積み込んだ。
僅か90cmの長さに切ってはあるものの、一人では持ち上げるのは大変な重さのものも有り、文字通り「力仕事」の連続で、しかも足場の悪い傾斜地の作業となりさすがのオバサンも最後はバテ気味となった。
結局夕方までに「搬出完了」とはならず明日まで持ち越しせざるを得なかった。
シイタケのホダ木としては楢の木を使うが、慣れないと栗との識別がつかず伐る時に迷うことが有る。
その違いはジイチャンに言わせると「見れば分る」となるが、二人にとっては未だに「見ても分らない」状態が続いている。
明確な識別ポイントを掴めないまま樹皮の形態や枝の張り具合を見て「これは楢だ」「これは栗だ」などと二人で議論しながら判別している。
経験を積んで「見れば分る」状態になる頃には既に山仕事ができない「年寄り」になっているかも知れない。
その間はオバサンが一人で運搬車を使って軽トラに積み込んだ。
僅か90cmの長さに切ってはあるものの、一人では持ち上げるのは大変な重さのものも有り、文字通り「力仕事」の連続で、しかも足場の悪い傾斜地の作業となりさすがのオバサンも最後はバテ気味となった。
結局夕方までに「搬出完了」とはならず明日まで持ち越しせざるを得なかった。
シイタケのホダ木としては楢の木を使うが、慣れないと栗との識別がつかず伐る時に迷うことが有る。
その違いはジイチャンに言わせると「見れば分る」となるが、二人にとっては未だに「見ても分らない」状態が続いている。
明確な識別ポイントを掴めないまま樹皮の形態や枝の張り具合を見て「これは楢だ」「これは栗だ」などと二人で議論しながら判別している。
経験を積んで「見れば分る」状態になる頃には既に山仕事ができない「年寄り」になっているかも知れない。