穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

太宰治の獲れた畑、いくつかのケース

2012-05-02 16:41:12 | 太宰治書評

理論的にはつぎの諸ケースが考えられる。

A・戸籍上の父母=実際の父母

B・戸籍上の父=実際の父、戸籍上の母X=実際の母

C・戸籍上の父X=実際の父、戸籍上の母=実際の母

D・戸籍上の父母両方ともX=実際の父母

Aでないとすると、Cの可能性が低いとするとBか。つまり父がほかの女に産ませた子供を家に引き取るケースだ。現実にもままあることである。太宰は暗々裏にこのケースの疑問になやまされていたようだ。

しかし、Dのケースが意外に有力とみる。要するに養子みたいなものだが。

子供が十人以上いたから跡取りに養子をもらう必要はない。残るケースは断れない人から頼まれるとか押し付けられるケースである。

太宰が東京で心中騒ぎを起こしたり、共産党細胞にアジトを提供したりしたときに、長兄が尻拭いに奔走しているさまは尋常ではない。

父親はすでに死んでいるわけだし、異腹の弟、それも妾かなにかの子供ならこうはしないだろう。

それで、私は、父親が世話になった、断れない事情がある人物の隠し子の処理を任されたケースがあると考える。

父親そのものが経済的な成功者であり、祖父だったかな、貴族院議員になっているわけだから、その人物とは政界、経済界などの相当な実力者の可能性がある。

太宰治がその可能性まで疑っていたかどうかはわからない。しかし、平気で何度も実家の兄を尻拭いで奔走させているところをみると可能性は考えたかもしれない。


太宰治の獲れた畑は

2012-05-02 15:57:09 | 太宰治書評

まだ津軽を抜けられない。驚いただろう。小説なら正直に書く必要はない。しかし評伝ならどこまで迫っているか、と調べてみた。端的に言う、太宰治の獲れた畑はどこか、ということだ。

ところが誰も追及していないようだ。太宰のひねくれ、屈折を解読するには絶対必要なことだと思うのになんと文芸評論家たちの杜撰なことか。

のんきに太宰の家系については語りつくされたというやつがいる。驚いたね。

確かにどの資料にも立派な系図が載っている。これが活版刷りの用意された資料で逆に怪しいと思わなければいけない。

そして立派な割には内容がない。骨だけあって肉がついていない。もっとも家系図が堂々と明瞭な割には家系はよくわからないとつぶやいている資料もある。

太宰の文学の特徴は母親探しであるという。それなのにこの問題を追及した人がいない。津軽でもそうだが、いわゆる系図上の母に対して太宰の筆致は冷たい。敬して愛さず、何の情動も起動しないらしい。

無学な乳母のたけを真の母に擬したり、出戻りのおばを母だとおもったりする、だが、ほのめかすだけでするりと抜けてしまう。

無頼派、破滅派というが、なかなか要領がいい。奥歯にものの挟まったような煮え切らない態度だ。

続く