穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

永井荷風の豪語「生涯処女を犯さず」

2012-05-24 20:41:23 | 書評

俺は生涯処女を犯したことは無い、と荷風は自慢していたそうである。さる伝記作者の伝聞情報であるから真偽はここで問わない。しかし言いそうなことであり、荷風の本質をついているところだと思う。

荷風は若年から恋愛遊戯に耽ったことを赤裸々に述べているが、上記の言葉は素人を相手にはしなかったという主義というかライフスタイルである。

モラリストだからか、そうではない、と思う。彼の偽善を憎む潔癖を表しているのだ。

墨東奇談にいう(以下当て字で行く、ワードの変換が面倒なので)「私はこの東京のみならず、西洋にあっても、売笑の巷の外、殆どその他の社会を知らないと言ってもよい」

同書に彼の旧作『見果てぬ夢』を引いて、「正当な妻女の偽善的虚栄心、公明なる社会の詐欺的活動に対する義憤は、彼をして最初から不正暗黒として知られた他の一方に馳せ赴かしめた唯一の力であった。つまり彼は真っ白だと称する壁の上に汚い様々な汚点を見出すよりも、投げ捨てられた襤褸の片にも美しい縫いとりを発見して喜ぶのだ。云々」

男女の慾情取引は公正な情報公開市場で行われることはまれである。見合いのアレンジメントに釣書という、まさにそのものずばりのものがある。見合いの場合はまだいい。様式化された習慣であったし、お互いに承知の上で割り引いて考える。

現代の社会において、つまり自由恋愛においては、だましあいに何の制約もない。

何事にも例外はある。純真無垢な恋愛にはじまり永続する幸福な結婚にいたるケースもある、稀ではあるが。世の中には仕合せな人もいるのである。だましあいも駆け引きもないカップルもある。

女性の精神をもっとも荒廃させるのは、絶えまないだましあいによる男女間の駆け引きである。

このだましあいは素人女性の場合がもっともひどいが、勿論クロウトの世界でもある。一番おおっひらではなはだしいのは銀座などの高級クラブの女給(ホステス)である。ルールもなにもない。

もっとも、だましあいの少ない公正な市場取引が行われるのが昔で言えば最下層の商売である赤線であろうか。現代で言えば風俗かな。もっとも風俗と言っても山賊と同じものも一部にはあるらしいが。そういう意味では芥川賞作家西村賢太氏は正統派である(ハタ迷惑だろうな、こんなところで参照されては)。

その市場慣行とは、現金正札販売、かけ売りなし、現金決済という理想的なものである。したがって、こういう世界には女性でも比較的精神が破壊されていないものが見出される。

つまり「投げ捨てられた襤褸の片にも美しい縫いとりの残りを発見する」のである。荷風が舞台を玉ノ井に設定したのはまさにドンピシャの必然性があったのである。

ここに数多くの荷風の花柳小説中、不動の傑作としてそびえる作品が成立した理由があるのである。計算しつくされた状況設定だろう。

「男に対する感情も、私の口から出まかせに言う事すら、そのまま疑わずに聴き取るところをみても、まだまったく荒みきってしまわないことは確かである。、、、そう思わせるだけでも、銀座などの女給などに比較したなら、お雪の如きは正直とも純朴とも言える。、、銀座あたりの女給と比較しても、後者のなお愛すべく、、、ともに人情を語ることが出来るもののように感じたが、」

以上主として状況設定の必然性についてのみ指摘したが、もちろん、この作品の素晴らしさは唸らせるような名文にある。

この小説を読んだ昔から考えてみるとその後おびただしい作品を読んだが、一体何の意味があったのだろうか、と再読して索然たる思いにとらわれ嘆息した。


永井荷風『墨東奇譚』座標について

2012-05-24 11:21:17 | 書評

この小説は荷風の一連の女肉市場ものであるが、スタイルは『腕くらべ』や『おかめ笹』のような芸者の世界を描いたスタイルでもなく、昭和初期の女給ものでもない。

その頃の言葉でいうと、わたくしもあまり詳しくなく自信がないが、赤線ものとでもいうか。解説なんかを見ると私娼ものと一様に言っているが、これが適切な言葉か。私娼というと自前で、ひもはいるのだろうが、街頭で客を引くもぐりの営業と理解しているのだが。

もっともオイラの理解はアカデミックなものだから違うのかもしれない。

現代で言えばその位置づけは『風俗』という感じだ。勿論違う点は大いにあるだろうがね。いちいち細かいチェック対策で詰らない注をいれて感興を削ぎたくないが。なに、最初から感興なんかないって、ごもっともであります。

そこではなしが本筋に戻るが、筆の感じは、『妾宅』、『雨しょうじょう』、『雪解』や『深川の唄』に類する。注

注:岩波は文庫でも全集でも『深川の唄』を小説に分類し、『妾宅』を随筆に分類している。逆じゃないのかな。

次回は各女肉市場の性格と荷風に与えた影響


永井荷風『墨東奇譚』

2012-05-24 10:57:32 | 書評

毎日1万五千歩、あるくことにしている。街中の歩道は歩けない。自転車という肉食恐竜が走り回っているが故である。一万五千歩稼ぐとなると大きなデパートや商業ビルの中を歩き回るしかない。ビルの中に本屋がある時には立ち読みしながらひとまわりする。 これで何歩か稼げる。

そこでだ、表記の本を見つけた。最近は文庫本でも字が大きくなっているから、読んだ本でも一応手に取る。岩波文庫だったが、随分見やすくなっている。それで購った次第。

念のために本棚にある文庫を引っ張り出してみると新潮文庫が一番字が詰っている。本文だけで、つまり作者贅言を除いてであるが、これが80ページほど、岩波は140ページくらいある。もっとも挿絵がふんだんに入っている。新潮文庫も新しいのは読みやすくなっているのだろうが。

おっと忘れていた。この辺でお断りを入れておこう。タイトルの一字目と三字目は字が違う。ボクにはサンズイがついている。三字めは糸扁だ。オイラはワードで一発変換できないときは強引にいく。

わざわざ区点変換なんて面倒なことはしない。言わずもがなの注を入れないと、細かいことを言う人がいるのでね。もっとも、こんなことを書いていると本文より注がながくなる。

以下次号。