穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第D(6)章 狆課長

2016-07-10 10:14:22 | 反復と忘却

 「会社に愛想が尽きたんですか」と課長は安物の狆みたいな顔をいっそうくしゃくしゃにして馬鹿みたいに復唱した。自分に愛想が尽きたと言われなくてほっとしたのだろう。「身体の具合はどうです」と俺の顔色をうかがった。「最近元気がないみたいですね」

「身体の調子はよくありませんね」

「しばらく休養したらどうですか」と課長は猫なで声で言った。「なにも退職しないでも。しばらく休職して良くなったら復職したらいいじゃないですか」とさも親切そうに忠告してくれたわけだ。

「また、同じことの繰り返しになりますからね」と俺は言ってやった。

「はあ?」と間の抜けた声をだした。

この課長は高卒のメカニックあがりである。メカニックの数の方がホワイトカラーより圧倒的に多い。元の組合の中核をなしていたのは彼らであった。御用組合作りの陰謀を主導した先輩はまず彼らに目を付けた。戦略的に彼らの中から何人かをつり上げて自分たちの手先に仕立て上げた。彼らが学生運動で体験しオルグのために派遣された町工場などで実見したことが参考になっている。そしてまずメカニックの集団を分裂させる。昇進という餌で釣り上げるのである。この課長はその内の一人で異例の早さで、異例のコースで本社の課長におさまったのである。

課長は鼻が小さく、目も小さく、その上口もこじんまりとしている。そうして、それらの造作が顔の中央三分の一の面積に集中している。おまけに髪の毛は染めたのか地毛なのか知らないが獣の毛の様に茶色っぽい。

課長は小柄な身体が大きな回転椅子の中でおさまり具合がわるそうにもじもしていたが、「今後はどうするんですか」と探りを入れて来た。

「別になにも」

「どこかへ転職するんですか」。このあたりが気になるらしい。

しばらく沈黙して狆課長に気をもませた後で俺は「いやいや、しばらくはぶらぶらしていますよ。別に他に就職する予定はありません」と答えた。

「そうですか、しかしいずれは何処かへ就職されるんでしょうが、そう言う時にはこちらの推薦が大切になりますからね」とそこで言葉を切った。これが言いたかったらしい。退職して会社の悪口を触れ回られては困ると脅しをかけているつもりなのだ。馬鹿をいっちゃいけない、見損なっちゃいけない。

「ご心配なく。こちらに推薦を頼むようなことは間違ってもありませんからご安心ください」

女子社員がお茶を持って来たが俺は飲まずに席を立った。