穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第D(8)章 読書

2016-07-14 09:31:29 | 反復と忘却

場末の1DKに格安物件があったので購入した。学生街のある町の裏通りにある1DKばかりの8階建ての小さなマンションである。近くにどぶ川が流れいて、ちょっと雨が降ると「洪水警報」のけたたましいサイレンが鳴り響くところである。

前には田舎から出て来た女子大生が住んでいたとかで部屋の壁に妙な仕掛けが残っていた。なんでもネズミのペットがいたそうでネズミが走り回る走路のようなものだったらしい。いずれリフォームして取っ払わなければならない。しかし、退職早々で手元不如意であるから支出は慎重に計画しなければならない。とりあえずはそのままにしておいた。壁にはへんな動物の臭気がまだ染み付いていた。

ペットはもちろんネズミとはよばれず、なにかハイカラな名前があるらしい。ペットショップに行けば若い女の子の好む「ネズミ」の一種の名前はわかるのだろうが管理人も知らなかった。彼は女子学生がネズミを飼っていた、と言っていたから俺もそう言うのだ。若い女はちんちくりんな獣を飼うからね。

「大隠は市中に棲む」と洒落込むつもりだったが、すぐにそんな生活はできないことが分かった。毎日が日曜日になったら、のんびりと一日中音楽を聴いたり、読書をしたり出来るだろうな、と思ったがそんなことに耐えられる筈が無いのだ。音痴のせいかもしれないが、俺の耳に耐えられるのはごく少数のCDである。それをひっきりなしに聞いているなんて出来る訳がない。好きな曲でもたまに聞くから良いのであって、のべつまくなしに聞くほど馬鹿じゃない。

読書は多いに期待していたんだがね。なにしろ俺は若い時にあまり本を読まなかった。これからは読書三昧だわい、と期待しておったのであるが、甚だしく失望した。読むものはいくらでもある。なにしろほとんど本を読んだことがないのだから。量的にはなんの不安もない。値段も酒を飲みに行くのよりかは全然金がかからないしね。

ま、最初は書店で目立つ場所にてんこ盛りしてある本だ。ベストセラーとか出版社が営業目的でやっているでこぼこ賞受賞作なんてやつだ。ところがくだらないものばかりだ。これにはあっけにとられたというか、呆れた。その内に1DKの部屋は10頁くらいしか読まないで放り投げられた本で、たちまち足の踏み場もなくなった。そこで場所を取らない文庫本に切り替えた。

今度は購入方針を切り替えた。長い間出版され続けた本は何らかの理由があるのだろう。つまり『外れ』の可能性はより少ないだろう、というわけである。で、まず奥付を見る。発行年が30年以上前であること、版数が一年に一回以上であることを目安とした。それと文庫本には第三者(評論家)による解説がついていることが多い。解説は長くても10頁くらいで立ち読み出来る。解説にはその質がピンからキリまである。文章にはちょっと読むだけで、位という者がわかる。これを文徳という。解説が合格なら中身もまあまあだろうという訳である。これは外れることもあるが確率はいい。 

そうすると、たまにまあまあの本にぶつかる。それについての書評をしたりすれば投資金額(本代)を多少回収したことにもなる。勿論猛烈にケチを付けた書評もすることがある。800円の文庫本なら800円分の批判料を支払っているようなものだからね。回収しなくてどうするのだ。暇つぶしにもなるしさ。