穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

7-2:大量殺人のダークヒーロー

2018-09-07 09:12:50 | 妊娠五か月

 チンとエレベーターの止まる音がした。下駄で校舎の廊下を走りまわるような音がするとドアの前でぴたりと止まった。ドアが開くと姪の麻耶が入ってきた。内野ゴロをショートストップが二塁手にトスするようにハンドバッグをソファの上に放り投げた。「アウト」と平敷が判定を下した。はいこれ、と彼女は持っていた書店のカバーを付けたままの本を机の上に置いた。「これがお釣り」というと千円札七枚と五百円のコインを置いた。中を開くと「大量殺人のダークヒーロー」という翻訳本だった。姪を疑うわけではないがブックカバーをむしって裏表紙をみると定価2400円と印刷してある。そうか消費税だな、と思ったのでお釣りを見て「これじゃ多すぎるんじゃないか」と聞いた。

  あとはあたしのおまけよと彼女は恩着せがましく言う。暗算の苦手な彼はまあ、せいぜい百円未満だろうと思った。「ほかには無かったのかい」

「案外ないみたい。原書売り場を見ればあるのかもしれないけど私は横文字を縦に読むのが得意じゃないから」

本当はカニ文字を横に読むのも得意ではなさそうだ。

巻末を見ると参考文献のリストがある。「いいんだよ、面白そうなのがあれば別にさがすから。有難う」

  さっそく中を見てみるが、どうも参考にはなりそうにないな、と彼は読前診断をつけてしまった。まず索引がない。それなのに参考文献リストはやたらと長い。まるで卒論か大学院生の学位論文みたいだ。きっとうんざりするほど長文の引用が多いのだろう。こういう本ほど迫力があり説得力がある本文があったためしがないのだ。

  次にいつもの手順で訳者のよいしょ解説を読む。まあ、これで見当はついた。彼は本を置くと散らばった書籍や資料の整理を始めた麻耶のほうを向いて「君は卒業したら何になるんだい。就職するんだろうな。弁護士にでもなるつもりかい」と聞いた。

麻耶は顔をあげずに「検事になりたいわ」と答えた。

すこし意表をつかれた形で彼は彼女を見つめた。「なるほどな、向いてるかもしれない。容疑者をぎりぎり責めつけるのも面白いだろうね」

「どうして」と彼女は不思議そうに叔父の顔を見上げた。

「どうしてって、麻耶は弟を苛め抜いていたからな」と彼は納得顔で言った。

「いじめてなんかいなかったわよ」と気色ばんで反撃してきた。甥がまだ子供のころ、自分の弟を振り回して肩を脱臼させたこともあり、事ごとに自分のおもちゃのように扱っていたのを、彼は妹から聞かされてきたものである。

「タレントとか芸能界に入るつもりはないのかな。その美貌をいかして」とからかうと

「失礼ね、バカにしないでよ」と顔を赤く膨張させて怒り出した。