もともとウィトゲンシュタイン(以下W)は哲学者ではないと思っている。Wは何回か(つまりオン アンド オフで)ケンブリッジ大学の哲学教授ではあったが。
かれは本質的にエンジニアである。学齢期つまり大学卒業まで工学専門学校で学んだ。父の意志によるものと思われる。工業関係の専門学校出である(要確認)。彼は専門学校当時に同じ年代のギムナジウムの学生がそうであったような、教養としての古典教育、哲学教育は受けていない筈である。
彼は第二次大戦時ジェットエンジンの開発段階に関連技術で特許を得ている。また、建築に熱中した時期もある。彼の姉の屋敷は彼の設計したものである。彼の考えの根本を支配する概念は工学的な考えである。いわく厳密さ、検証可能性、真理値など。ウィーン学団のメンバーが誤解したように科学哲学でもない。Wが論理実証主義者のメンバーに慫慂されても彼らと距離を置いていた。
彼はまた神秘主義者であった。無意識領域にも強い関心があった。青年期の彼の愛読書はショーヘンハウアーの「意志と表象としての世界」である。また、フロイトの学説にも強い関心を寄せていた。
「論理実証主義」の6.5.22、「だがもちろん言い表しえないものは存在する。それは示される。それは神秘である」。これがWの世界観である。現代の科学万能主義者の目から見ればオカルトである。
彼の「論理哲学論考」は「言葉で言い表せるもの」の分析であり、Wの考える世界のごく一部分にしか過ぎない。前期では言葉は論理的側面に限られていたが、いわゆる後期では日常用語に変わっただけである。
さて、何をいまさらWか、であるが(このブログでは前にWについては散々書いてきた)、最近ポパーの本を読んだ。かれは自然科学、素粒子理論や量子力学の形而上学上の前提を論じているので興味があったのである。
大分前に単行本の翻訳で「ポパーとWとの間で交わされた世上名高い10分間の大激論の謎」というのがあったのを想起したのである。先日なにげなく某書店内をそぞろ歩きしていたところ、この本が文庫になっているのを見たので買った(筑摩文庫)。まだ途中まで読んでいるところである。この本の感想は後便でお伝えしたい。