穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

7-4:いじめに遭いやすいタイプ

2018-09-12 07:41:49 | 妊娠五か月

 後ろがばかに静かだ。彼が振り返ると摩耶は散らかった室内の整理をほったらかしにして無心にスマホをいじっている。チカチカ・ドンドンと言う派手な音がしないからメールだかSNSでもしているのかもしれない。若者の熱中するほどスマホに魅力があるということが彼は理解できない。彼がはじめてスマホを手にしたのはアンドロイド端末でOSのバージョンはまだ1.5だった。そのころはスマホなんてだれも持っていなかった。たしかカナダのメーカーのものだった。物珍しさから彼はそれを外出時には必ず持ち歩いて今の若者のように(いまやいい年をした勤め人やじいさん、ばあさんまでもいじっているが)、電車の中や駅のホームで弄り回していたものだ。周りの人が物珍しそうに、ある人たちは気持ち悪そうにそんな彼を見ていた時代だった。かれは2,3か月ですぐにスマホに飽きてしまった。スマホは彼のライフスタイルに入りこむ余地はないと見切りをつけたのである。

 「ちょっと聞くけどさ、スマホのどこが面白いんだい」と摩耶に話しかけた。彼女は深い夢から覚めたようにゆっくりと彼を見上げた。目はとろんとして唇には薄笑いの名残りが漂っていた。女性のスマホ・ユーザーがよく見せる気味の悪い表情である。スマホを見ているからいいが、普通街でなかそういう表情をすると、すこし頭が足りないかなと誤解されかねない表情である。友人のTはこの表情を評して「無心に放尿しているときの表情だ」と言ったことがある。かれが驚いて「女性用トイレを覘いているのか」と聞くと「いや男性も放尿の時にそういう表情をするだろう。女性も同じじゃないかね」と答えた。

 平敷は不思議に思って、俺は気が付かなかったなというと、Tは「それは共同便所だろう。人の目があるところでは男もそんな表情はしない。昔は一般の家で二階に便所がある家なんか、換気のために便所の高窓を開けていたろう。ちょうど下の往来を通っていてふと目を上げるとそういう表情にぶつかる。そういうときに相手は誰も見ていないと思って放尿しながら恍惚とした表情をするものだよ、と解説してくれた。「迂闊にションベンも出来ねえな」と平敷も笑った。

 そういえば、と彼は思い出した。日露戦争の従軍記者だった田山花袋が満州の荒野で誰も見ていないと思って脱糞していたら、たまたまそれを見た師団の軍医長だった森鴎外が田山花袋に一句送ったという。上の句は忘れたが「野糞を垂れし君を見るかな」とか。田山花袋は「大変なところを見られましたな」と言ったという。

摩耶は質問の意味をとらえていないようだった。もとより彼も若い女性とスマホ論争をする気もないから質問を繰り返さなかった。話頭を転じて「摩耶はいじめにあったことがあるかい」と聞いた。

「ないわ」

「そうだろうな、摩耶はいじめるほうだものな」

「まったくしつこいわね」と怒り出した。

「だけどいじめを見たことはあるだろう。どこにでもある現象だから」

「まあね」と彼女は妥協した。

「おれは思うんだけどね。いじめようと思ってもいじめられない相手がいるだろう」

摩耶は思い出すような顔をしてしばらく黙っていたが、「そうね、いじめを仕掛けても効果がない場合はあるわね」

「そうするとどうするわけ、いじめっ子たちは」

「さらにエスカレートするわけよ」

「それでもいじめが成功しなかった場合は」

「ほんとうにしつこいんだから。知らないわよ」

「実は俺の高校時代の友人でね。いかにもいじめの対象になりそうなんだけど、ぜんぜんいじめにあわなかったのがいるんだよ」と彼はTのことを思い出しながら話した。

「いったいいじめが成立する条件と言うのはなんだろう」と彼は自問するように言った。